2011/10/29(土)「ミッション:8ミニッツ」

 パラレルワールドを使えば、どんなことも可能になってしまう。この映画はタイムトラベルものではなく、列車爆発の犯人を見つけるため、死ぬ直前の8分間を何度も経験する男の話だが、繰り返されるうちにその結果に影響を与えていく。8分間は列車爆発の犠牲者の記憶。主人公のコルター・スティーブンス大尉(ジェイク・ギレンホール)はふと気がつくと、その中に送り込まれていた。シカゴ中心部を高性能爆弾で襲うテロを防ぐため、軍が実施したプロジェクトだった。

 記憶の中をいくら探したって記憶していないものは見つけられないはずだが、これはその記憶を元に構成した電脳世界と言えるだろう。コンピューターのシミュレーションであり、サイバーワールドの中で完結しているから外の世界とのつながりはない。そこがラストに変わるのが映画の工夫というか、つじつま合わせというか、評価の分かれるところかもしれない。この結末は脚本にはなく、監督のダンカン・ジョーンズが変更したものだという。これが気持ちよいのはハッピーエンドへの強い希求が根底にあるからだ。観客の期待に応える変更と思う。

 映画はSFというより音楽も含めてヒッチコックのサスペンス映画のようなタッチ。ダンカン・ジョーンズの本質はSFよりもサスペンスにあるのかもしれない。

2011/10/16(日)「モールス」

 ヨン・アイヴィデ・リンドクィストの原作「MORSE モールス」を映画化したスウェーデン映画「ぼくのエリ 200歳の少女」のアメリカ版リメイク。隣に吸血鬼が引っ越してきたという設定は「フライトナイト」(これもリメイクされた)と同じだが、元がスウェーデン映画なだけにゆったりとした展開だ。吸血鬼の少女役は「キック・アス」のクロエ・グレース・モレッツ。監督は「クローバーフィールド HAKAISHA」のマット・リーヴス。

 ちょうどWOWOWで「ぼくのエリ 200歳の少女」を放映したので見た。これは叙情性・耽美性を備えた傑作。同じストーリーなのにこうも違うかと思う。マット・リーヴスは耽美性を取り入れようとして精いっぱい頑張っているが、とてもかなわない。アップを多用した画面構成と音楽、そしてスウェーデンの冬の光景が美しい。監督はトーマス・アルフレッドソン。Wikipediaによれば、兄ダニエルは「ミレニアム 火と戯れる女」「ミレニアム 眠れる女と狂卓の騎士」の監督なのだそうだ。

 テレビ放映なので仕方がないが、肝心なところにぼかしが入る。「わたしが女の子でなくても好き?」とエリが聞いた理由が分かるシーンなので残念。この、「女の子」のセリフ、ぼくは「モールス」を見た時にバンパイアだから男でも女でもない、という風に解釈したが、実はエリ、元は男の子でバンパイアになる時に去勢されたのだそうだ。「モールス」はクロエ・グレース・モレッツをキャスティングした段階で、この部分を捨て去っていることになる。

 原作も買ってしまったが、amazonのレビューに「半分ゲイポルノのようなもので、読まなくていい」とあった。むむむ。そうなのか。ということは、「ぼくのエリ」の成功はアルフレッドソンの力なのだろう。

2011/10/09(日)「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」

 クライマックス、騎馬警官隊がゴールデンゲート・ブリッジの猿の群れを襲うシーンは「猿の惑星」第1作の序盤、馬に乗った猿による人間狩りのシーンの恐怖を容易に思い起こさせる。これ以外にも行方不明になった宇宙船を報じる新聞が出てきたり、最初に猿がしゃべる言葉が「No!(いやだ!)」であったり、コーネリアという名前の猿が出てきたり等々、旧作につながるシーンが至るところにあり、旧作を見てきた映画ファンはニヤリとするだろう。しかし、まったく見ていなくても問題はない。監督のルパート・ワイアットは一部のファンに対して映画を作るような狭い了見で映画を作ってはいない。というよりも、映画興行的にもこれは当然だろう。ワイアットはアルツハイマー治療薬を投与されたメス猿がジェネシス社で暴れる序盤を迫力たっぷりに描き、観客の度肝を抜く。そこから一気呵成にラストまで突っ走る。映像に力があふれており、これはシリーズ第1作に匹敵する出来栄えと言って良い。

 旧シリーズは第5作まで作られた。第2作「続・猿の惑星」のラストで地球は核兵器によって壊滅し、シリーズも終わりかと思われたが、ここから旧シリーズのスタッフは驚天動地の続きを考える。ドル箱シリーズを続けるためには不可能を可能にするアイデアだって思いつくのだ。すなわち3作目の「新・猿の惑星」は第2作のラスト、宇宙船で逃げたコーネリアスとジーラが地球の大爆発の影響で過去にタイムスリップするという設定。未来が猿によって支配されることを知った人間たちによってコーネリアスとジーラは殺されてしまうが、その子供マイロ(後のシーザー)は生き残る。ラスト、サーカスの檻の中で「ママ…」とつぶやく幼いマイロは第4作「猿の惑星 征服」で反乱を起こす猿たちのリーダー、シーザーとなるわけだ。ついでに書いておけば、第5作「最後の猿の惑星」(併映は配給会社が意図したのかどうか知らないが、チャールトン・ヘストン主演のSF「ソイレント・グリーン」だったと思う)とティム・バートンによる2001年のリメイク(本人はリ・イマジネーション=再創造と言っていた)「Planet of The Apes 猿の惑星」はなくても全然かまわない出来だった。

 というわけで今回の新作は第3作と第4作をなかったことにした語り直しという位置づけとなる。旧作では猿の進化の理由が説明されなかったが、今回はウィルス進化論を適用している。主人公のウィル(ジェームズ・フランコ)が開発したアルツハイマー治療薬は遺伝子操作を行うウィルスなのである。このあたりはキネ旬10月下旬号の「『ウィルス進化論』を裏付ける映画のリアリティ」が詳しく、これを書いた医学博士の中原英臣は「この40年間の科学の進歩が、SF映画でしかなかった『猿の惑星』の起源という大きな謎を解明しつつある」とまで書いている。

 そういうSF的設定に隙がないところも良いのだけれど、ここはやはり1時間46分という賢明な上映時間に猿たちの蜂起に至る過程を圧倒的な迫力で、しかも情感をこめてまとめ上げたルパート・ワイアットの手腕を評価すべきだろう。加えてWETAデジタルが担当した猿のCG(パフォーマンス・キャプチャー)は本物の猿と見分けがつかない見事な出来だ。シーザーを演じたアンディ・サーキスは「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのゴラムとピーター・ジャクソン版「キング・コング」を演じた俳優なのだそうだ。

 作品への評価が高い上に、ヒットもしているので間違いなく続編が作られるだろう。尻すぼみになった旧シリーズの轍を踏まず、充実したシリーズになることを祈りたい。

2011/10/08(土)「無敵特殊部隊ルーザーズ」

 DCコミックスのグラフィックノベルを映画化したアクション。南米で武器密売組織の掃討作戦を行っていた特殊部隊がCIAの黒幕マックスの裏切りに遭い、作戦は失敗。彼らはマックスへの復讐に立ち上がる。ボーッと見ている分には悪くないアクション。主演はジェフリー・ディーン・モーガン。「アバター」のゾーイ・サルダナが出ている。これも劇場未公開。監督はシルベイン・ホワイト。IMDBの評価は6.3。

2011/10/05(水)「レニングラード 900日の大包囲戦」

 第2次大戦中のドイツ軍によるレニングラード(現サンクトペテルブルク)包囲作戦を描く。ミラ・ソルヴィーノ主演。取材活動中に爆撃を受け、レニングラードに取り残されたイギリス人女性記者ケイト(ミラ・ソルヴィーノ)の目を通してレニングラードの悲惨さを描く。

 ドイツ軍に包囲されたレニングラードの飢餓状態は昨年の傑作ミステリ「卵をめぐる祖父の戦争」(デヴィッド・ベニオフ)でも描かれていたが、補給路をほとんど断たれたために人間の肉を食べるほど追い込まれたという。映画にもそんな描写がちらりと出てくるが、女性記者の意外な生い立ちとそのサバイバル劇の方が中心。ミラ・ソルヴィーノ、悪くない。ガブリエル・バーン共演。

 2009年のイギリス・ロシア合作。日本では劇場公開されなかった。IMDBの評価は6.2。