2024/06/09(日)「マリウポリの20日間」ほか(6月第1週のレビュー)
「スター・ウォーズ」のスピンオフドラマは「マンダロリアン」を除いてあまり人気がありません。その「マンダロリアン」はジョン・ファブロー監督による映画化が決まっていて、今年中に製作が始まるそうです。
「マリウポリの20日間」
アカデミー長編ドキュメンタリー賞受賞のウクライナ=アメリカ合作映画。2022年2月24日のロシア軍の侵攻開始からの20日間、ウクライナ東部の港湾都市マリウポリの惨状を現地に残ったAP通信取材班が撮影し、戦闘の実際を詳細に伝えています。民間人は攻撃されないという一般的な考えはロシア軍には通用せず、マンションや一般住宅、店舗、病院などすべてが攻撃対象になり、砲弾と銃弾が浴びせられて多くの死傷者が出ます。犠牲者の中には妊婦や幼い子どもたちも含まれ、映画は全編に悲鳴と慟哭、嗚咽、叫び、怒りが渦巻いています。
マリウポリの周囲はロシア軍に包囲されており、逃げ場のない状態での惨劇。爆撃の音に怯え、地下室で「わたし死にたくないの」と涙を流す女児、サッカーをしている時に砲撃され、両足を吹き飛ばされた少年の遺体のそばで慟哭する父親など胸を抉られるような場面が連続します。
戦闘に巻き込まれた一般市民を描いて、この映画は有無を言わさない真実の力に満ちています。報道されたこうした映像について、ロシア政府高官は「フェイクだ」と愚かな発言を繰り返しますが、この非人道的な殺戮の数々、ひどい攻撃の仕方を公式に認めれば、国内外から非難が高まるのは必至。「嘘だ」と言うしか対抗手段がないのでしょう。
ウクライナ出身のAP通信社記者でこの映画の監督・脚本・制作・撮影を務めたミスティスラフ・チェルノフはアカデミー賞授賞式で「この映画が作られなければ良かった」と話しました。侵攻開始から2年以上たってもウクライナ国民の苦しみは終わる兆しが見えません。どうすれば殺戮を止められるのか、国際社会はどう対応すべきなのか、真剣に考える必要があると、あらためて痛感させる作品になっています。
IMDb8.6、メタスコア83点、ロッテントマト100%。
▼観客7人(公開初日の午後)1時間37分。
「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」
ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」(1967年)の衝撃から始まって、加藤和彦と北山修の「あの素晴しい愛をもう一度」(1971年)ぐらいまでは当時を知る者にはたまらなく懐かしい展開です。この歌、元々はシモンズのデビュー作として作ったそうですが、あまりに良い出来だったので自分たちで歌った、ということをこの映画で初めて知りました。その後のサディスティック・ミカ・バンドについて僕は「タイムマシンにおねがい」(1974年)ぐらいしか知らないので、あまり興味がなく、映画も中盤から少しダレると感じました。それでも加藤和彦という天才的な音楽家の生涯とその影響力の大きさを俯瞰することができるのがこの映画の価値でしょう。
僕は10代の頃、北山修のエッセイ「戦争を知らない子どもたち」「さすらいびとの子守唄」(いずれも1971年発行)に大きな影響を受けていて、映画のインタビューで北山修の現在の姿と加藤和彦への思いを知ることができてうれしかったです。北山修は現在、白鴎大学学長を務めています。
監督は「音響ハウス Melody-Go-Round」(2019年)などの相原裕美。1960年生まれなのでリアルタイムでフォークルや「あの素晴しい愛をもう一度」のヒットを知っていると思います。
▼観客7人(公開5日目の午後)1時間59分。
「あまろっく」
兵庫県尼崎市を舞台にした笑いと涙のドラマ。出演者は悪くはないんですが、話を詰め込みすぎ。細かなエピソードよりも細やかな描写が欲しいところです。あまろっく(尼ロック)は治水・高潮対策の尼崎閘門のこと。会社でも家でも普段は何もしない父親・竜太郎(笑福亭鶴瓶)が自称している。その父親が再婚相手に20歳の美女・早希(中条あやみ)を連れてきた。京都大学を卒業して入った大企業をリストラされてぶらぶらしている娘・優子(江口のりこ)は愕然。しかも父親は再婚して1カ月後に急死し、優子は“赤の他人”の早希と喧嘩しながら暮らすことになる。
早希が45歳も年上の竜太郎と結婚したのは子どもの頃、家族の団らんに恵まれなかったからで、竜太郎が亡くなっても優子とともに暮らすのはせっかくできた家族を手放したくなかったからです。竜太郎の若い頃を演じる松尾諭と妻役の中村ゆりを含めて出演者は総じて良いです。次から次に起きる事件を絞って、語り方をさらに洗練したいところでした。監督は中村和宏、脚本は西井史子。
▼観客11人(公開2日目の午前)1時間59分。
「からかい上手の高木さん」
山本崇一朗原作コミックのドラマ(今泉力哉監督、黒川想矢、月島琉衣主演)の10年後を描く劇場版。父親の仕事の都合で高木さんが島を去って10年。西片(高橋文哉)は母校の中学校の体育教師になっていた。そんな時、高木さん(永野芽郁)が教育実習生として島に帰ってくる。中学時代、高木さんにからかわれ続けた日々が再び戻ってくる。
西片のクラスの生徒役・白鳥玉季と不登校の男子生徒の場面の深刻な長回しがうまくいっていず、ユーモアを絡めた全体との調和が取れていないなと思っていたら、クライマックス、高木さんと西片の長回しも今一つ効果を上げていませんでした。今泉力哉監督の傑作「街の上で」(2019年)におけるアパートでの若葉竜也と中田青渚の恋バナシーンの長回しに比べると、明らかに劣っていて、まだるっこしさばかりが先に立ってしまっています。
高木さんも西片も25歳なのに15歳のような恋心の描写で、それなりに成長した2人になっていても良かったんじゃないでしょうかね。永野芽郁と高橋文哉自体は悪くありません。月島琉衣と白鳥玉季は、伊東蒼と並んで将来性を感じさせる女優だと思います。
▼観客13人(公開7日目の午後)2時間。
2024/06/02(日)「正義の行方」ほか(5月第5週のレビュー)
空港に向かうバスの中で死ぬ元ホステスの姿は「真夜中のカーボーイ」(1969年、ジョン・シュレシンジャー監督)のダスティン・ホフマンを想起させ、最終11話で犯人の乗る屋形船を追って走る綾野剛の姿は「フレンチ・コネクション2」(1975年、ジョン・フランケンハイマー監督)のジーン・ハックマンを思わせました。
「正義の行方」
福岡県飯塚市の女児2人が殺害された事件(飯塚事件)を検証したドキュメンタリー。事件から30年後の2022年にNHKが放送した3部構成のBS1スペシャル「正義の行方 飯塚事件30年後の迷宮」を再構成した映画化で、極めて緊密な作りの傑作になっています。飯塚事件についてはジャーナリストの清水潔が「殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」(2013年)の中で冤罪の疑いがある死刑執行事例として書いています。事件から2年7カ月後に久間三千年容疑者が逮捕され、死刑判決が確定してわずか2年後の2008年に刑が執行されました。久間元死刑囚は犯行を否認し続けていましたが、DNA型の鑑定結果など4つの証拠が逮捕の決め手となり、裁判所もそれを支持しました。
問題は当時のDNA型の鑑定方法(MCT118鑑定)が今となっては信頼性が乏しいとして否定されていること。逮捕当時、これが一番の有罪の決め手だったにもかかわらず、その後の再審請求では目撃証言など他の3つの証拠で犯行が高度に立証されているとされ、請求は棄却されました。
映画は前半を事件の経過と警察の捜査、それをつぶさに取材した地元紙西日本新聞の報道を描き、後半は同紙が2018年から連載した「検証飯塚事件」を基にした検証結果を描いています。
ドキュメンタリー映画の中には特定の人物の発言を垂れ流すだけの作品があってうんざりするんですが、この映画は1つの事象に対して複数の関係者の発言を必ず用意していて、この姿勢は細部まで徹底しています。これが作品の信頼性につながっています。
西日本新聞が死刑執行から10年後に検証連載を始めたのは事件当時、取材班のキャップだった記者が編集局長になったのがきっかけ。調査報道の得意な記者2人にゼロから取材させ、問題点を炙り出していきます。このパートが滅法面白いです。事件当時は警察に夜回りをかけて特ダネ合戦のトップを走った(つまり警察のお先棒を担いだ)新聞がそれを反省検証するのは報道機関として真摯な姿勢と褒められるべきで、この映画は同紙の評価を高めることにも繋がっていくでしょう。
パンフレットに「オールドメディアの存在意義をかけて」の文言があるのが唯一気になったことで、オールドだろうがニューだろうが、この姿勢は報道に不可欠のものだと思います。
監督の木寺一孝は元NHKディレクターで2023年にNHKを退職。監督作品には「“樹木希林”を生きる」(2019年)があります。
▼観客10人(公開2日目の午後)2時間38分。
「マッドマックス フュリオサ」
1979年に始まった「マッドマックス」シリーズの第5作。というか、前作「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(2015年)でシャーリーズ・セロンが演じた女戦士フュリオサの前日譚で、タイトルも「FURIOSA: A MAD MAX SAGA」なのでシリーズとしては番外編と言うべきでしょう。ただし、僕は5本の中ではこれが最も面白かったです。セロンに代わってフュリオサを演じるのはチェスの天才少女を描いたドラマ「クイーンズ・ギャンビット」(2020年、Netflix、全7話)でブレイクし、「ラストナイト・イン・ソーホー」(2021年)「ノースマン 導かれし復讐者」(2022年)「ザ・メニュー」(2022年)と出演作が続いているアニャ・テイラー=ジョイ。
核戦争で世界が荒廃して45年後。豊かな緑の地に住んでいた10歳のフュリオサ(アリーラ・ブラウン)はバイカー軍団に連れ去られ、追ってきた母親(チャーリー・フレイザー)を惨殺される。バイカー軍団を率いるのはディメンタス(クリス・ヘムズワース)。ディメンタスは何でも揃う砦(シタデル)を乗っ取ろうと目論むが、シタデルを統治するイモータン・ジョー(ラッキー・ヒューム)の軍団には歯が立たない。フュリオサはシタデルに残ることになる。数年後、男装したフュリオサ(アニャ・テイラー=ジョイ)はディメンタスへの復讐の機会をうかがっていた。
メル・ギブソンを一躍スターダムに押し上げたシリーズ第1作は公道でのカーチェイスの前例のないスピード感と迫力で当時の観客を熱狂させました。妻子を殺された警官の復讐というシンプルな筋立ても僕の好みでした。ただ、シリーズの評価が高まったのは漫画「北斗の拳」に大きな影響を与えたシリーズ第2作。今回は第1作を彷彿させる復讐譚になっていて、アクションの迫力は期待を上回る出来でした。
アニャ=テイラー・ジョイはセロンに比べると小柄ですが、復讐心を秘めた寡黙なフュリオサを見事に演じきっています。
IMDb7.9、メタスコア79点、ロッテントマト90%。
観客多数(公開初日の午前)2時間28分。
「帰ってきた あぶない刑事」
地上波テレビに刑事アクションがなくなって久しいから、こういうアクションの勘所の分かってない話になるんだろうなと、ほとんど先入観で思ったんですが、脚本の大川俊道と岡芳郎はいずれも1986年のドラマ「あぶない刑事」でも脚本を書いた人たちでした。ちなみに、このドラマの第1話は脚本・丸山昇一、監督・長谷部安春という強力布陣です。「大都会」(1976年)シリーズに始まる日テレの刑事アクションは主に日活アクション映画の監督と脚本家たちが支えていました。今回の原廣利監督は1987年生まれなので、テレビドラマには当然かかわっていませんが、父親の原隆仁監督はドラマの第1期から脚本・監督として参加した人(親子関係で言うと、港警察署の警官・山路瞳を演じる長谷部香苗は長谷部安春監督の娘です)。
平日の劇場には年輩客が多かったです。僕は「大都会PART II」(1977年)のようなハードなアクションが好きだったので、ユーモアを絡めた「あぶない刑事」には何の思い入れもありませんでした。当時を懐かしむ観客を意識した作りを否定するわけではありませんし、若者にもある程度支持を集めているようですが、刑事アクションの王道を行くような作品も見てみたい気持ちになります。
▼観客20人ぐらい(公開6日目の午後)2時間。
「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」
イタリアで1858年に起きたカトリック教会による少年誘拐事件を描くマルコ・ベロッキオ監督作品。エドガルドが住んでいたのはボローニャ地方で、ユダヤ教の家でしたが、使用人のカトリックの女性がエドガルドのためを思って洗礼したことにより、異端審問官がエドガルドをカトリック教徒として育てる必要があるとして教皇警察に連れてくることを命じました。エドガルドはカトリックの教えのまま成長。結果として家族から拒否される悲劇に見舞われることになります。無宗教の多い日本人からすると、ほとんど洗脳教育としか思えない事態。宗教が権力を握ると、ろくなことにはならないという思いを強くしました。政教分離は不可欠なわけです。
IMDb7.0、メタスコア73点、ロッテントマト85%。
▼観客11人(公開7日目の午後)2時間14分。
2024/05/26(日)「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章」ほか(5月第4週のレビュー)
「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章」
前半1時間はストーリーがやや停滞気味。後半1時間で一気に解決へと向かいます。前章で描かれた過去の場面の意味が明らかになり、後は一気呵成の展開でした。端的に言って、SF的なアイデアに新しいものはないんですが、この展開と語り方、ユニークなキャラクターたちには大きな魅力があり、僕は面白く見ました。上空に巨大な宇宙船(母艦)が居座ったままの東京。駿米大学に入学した小山門出(幾田りら)と“おんたん”こと中川凰蘭(あの)はオカルト研究会に入部する。母艦にいる侵略者はたびたび地上で目撃され、自衛隊は駆除活動を粛々と実行していた。上空の母艦が傾いて煙が立ち上るようになり、地上の人間たちは世界の終わりを意識するようになる。そうした中、凰蘭は不思議な少年・大葉圭太(入野自由)にまた遭遇する。
非日常の光景の中で友情や恋や出会いなど日常の出来事を描くのがこの作品の持ち味。前章を見た時に予想した通り、物語のキーマンは凰蘭の方で、くそヤバい状況と人類終了の引き金は凰蘭の行動が一因になっています。そして主人公2人が世界を破滅から救うのではなく、凰蘭が好きになった大葉が活躍していくことになります。
劇中に出てくるマンガ「イソベやん」と大葉が飛行に使う道具はタケコプターを思わせるなど「ドラえもん」を意識したものですし、終盤、爆発が地球全体に広がるイメージは「エヴァンゲリオン」を想起させました。空に開いた穴から現れる巨大な赤い指は侵略者の上位にある存在を示しているようですが、完全な説明はありません。すべてに説明がつくわけではないのに、映画の終わり方に不満を感じないのは門出と凰蘭の関係がこの映画のキモだからでしょう。
あのちゃんと幾田りらが歌う前章の過激な「絶絶絶絶対聖域」に代わって、今回はほんわかした「青春謳歌」がエンディングに流れます。このほんわか具合は、かなりの人が死ぬにもかかわらずハッピーエンドを思わせる映画の内容に合っていて良かったです。2人の起用が成功の大きな要因なのは間違いないところです。
▼観客4人(公開初日の午後)2時間
「ゴッドランド GODLAND」
19世紀後半のアイスランドを舞台に描く過酷な自然と人間のドラマ。2時間近く淡々と進んでいた映画が終盤に大きく転調し、驚愕の展開を迎えることになります。まったく予想していなかったので、大きな驚きでしたが、それまでの人間関係と自然の描写が生きてくる見事で厳しいクライマックスと言えるでしょう。デンマーク統治下のアイスランド。デンマーク人でキリスト教ルーテル派の牧師ルーカス(エリオット・クロセット・ホーヴ)はアイスランドでの布教を命じられる。教会を建てるために辺境の村を目指した旅は過酷なものだった。途中で通訳の男が事故死し、ルーカスは言葉が通じない中、デンマーク嫌いのアイスランド人ガイド、ラグナル(イングヴァール・E・シーグルズソン)と対立。落馬して瀕死の状態で村にたどり着く。
統治する国とされる国の国民感情には複雑なものがあり、ルーカスとラグナルの対立はその感情に起因します。ルーカスは聖職にありながら、アイスランドを見下した部分があるようで、ラグナルはそれを感じ取っているのでしょう。
英題の「神の国」に対してアイスランド語の原題は「悲惨な国」という意味。デンマークで学び、家族とともにアイスランドに戻った詩人マッティアス・ヨックムソンの「憎しみの詩」に由来するそうです。恐ろしい冬を経験したことからアイスランドを非難する内容の詩だったため、ヨックムソンは激しい非難を受けたとのこと。監督のフリーヌル・パルマソンはアイスランド人。2年以上かけて撮影したアイスランドの自然が素晴らしい効果を上げています。
IMDb7.2、メタスコア81点、ロッテントマト91%。
▼観客11人(公開2日目の午後)2時間23分。
「マンティコア 怪物」
タイトルの「マンティコア」は人間の顔にライオンのような体を持つ神話上の生物。監督が日本の魔法少女アニメに影響を受けた「マジカル・ガール」(2014年)のカルロス・ベルムトなのでそういう本趣味のSFかと予想したんですが、ここでいう怪物は是枝裕和「怪物」(2023年)のように心に巣くう怪物のことでした。それが分かるのに1時間半ほどかかりました。主人公のフリアン(ナチョ・サンチェス)はゲームに出てくる怪物などをデザインするクリーチャーデザイナー。同僚の誕生パーティーで美術史を学ぶディアナ(ゾーイ・ステイン)に出会い、ショートカットで小柄な彼女に惹かれていく。デートを重ね、親しくなったある夜、ディアナはフリアンのアパートに泊まるが、フリアンはセックスができず、パニック発作を起こしてしまう。
映画は序盤にフリアンが別の女性とやはりセックスができない場面を描いていて、フリアンは「これまで女性と付き合ったことがない」とディアナに打ち明けます。単にうぶな男なのかと思っていると、実はそうではないことが1時間半近くかかってわかるわけです。それが分かってから、ちょっとハラハラする場面がありますが、主人公の本質をもったいぶって描くほどのことはなく、そこから先が問題なんじゃないかと思います。つまらなくはなかったですが、特に褒めるほどでもなく、僕にとっては普通の出来でした。
IMDb7.1、ロッテントマト100%(アメリカでは映画祭での公開のみ)。
▼観客4人(公開5日目の午後)1時間56分。
「湖の女たち」
吉田修一の原作を大森立嗣監督が映画化。滋賀県の琵琶湖近くの介護施設で100歳の寝たきりの男が殺された事件を巡り、刑事と介護士の女、事件を調べる女性記者などを描くミステリー的な物語です。5章仕立ての原作の第1章だけ読んで映画を見て、その後残りを読みました。週刊新潮のレビューで映画評論家の北川れい子さんは「終盤は原作と異なる」と書いていましたが、全体のプロットはほぼ同じ。記者が女性に代わっているなど細部の違いはありますが、忠実な映画化と言って良いと思います。
まさかこんな変態的サディスティックな刑事はいないだろとか、この女マゾかと思えた場面もすべて原作にありました(冒頭の車の中での女の自慰場面はなし。その代わり、男の自慰場面はあり)。戦争中の731部隊にまで広がる話も同じなら、それが直接的には事件に関わってこないのも同じ。原作は薬害エイズ事件と障害者施設殺傷事件を一部モデルにしていますが、登場人物の1人が戦争中に見たある事件の光景さえあれば、この2つの事件への目配せは不要だと思いました。
原作の評価は吉田修一作品としては高くないようです。映画の評価がさらに低いのは過去現在のさまざまな要素が有機的に結びついていかないからで、刑事(福士蒼汰)と介護士の女(松本まりか)のエロス・タナトス的な支配被支配の関係だけが目立つ結果になっています。松本まりかをはじめ福地桃子、北香那、穂志もえか、呉城久美と個人的に気になる女優が多数出ているのはうれしかったんですけどね。松本まりかは「夜、鳥たちが啼く」(2022年、城定秀夫監督)の方がよほど色っぽくて良かったです。
▼観客4人(公開6日目の午後)2時間21分。
2024/05/19(日)「ミッシング」ほか(5月第3週のレビュー)
「ミッシング」
行方不明となった6歳の娘を必死に探す夫婦と世間のバッシングを描く吉田恵輔監督作品。吉田監督は「空白」(2021年)や「神は見返りを求める」(2022年)でもSNS上のバッシングを描いていました。今回は真正面からそれを取り上げた形です。主人公を演じる石原さとみの熱演が話題で、確かに女優賞に値する迫真の演技ですが、話の展開自体にそれほど目新しいものはないように思いました。娘の美羽がいなくなって3カ月。沙織里(石原さとみ)と豊(青木崇高)の夫婦は街頭でチラシを配り、情報提供を求めている。大手マスコミの関心が薄くなった中、地元テレビ局の砂田(中村倫也)だけは夫婦の活動を取り上げてくれている。そんな中、娘の失踪時に沙織里がアイドルのライブに行っていたことがネットで批判・炎上する。さらに最後まで美羽と一緒だった沙織里の弟・圭吾(森優作)の証言に嘘があることが分かり、いやがらせ、攻撃が強まる。
物語の基になったのは2019年の山梨キャンプ場女児失踪事件でしょうが、吉田監督は当事者への心ない攻撃のほか、些細なことで言い争いをする街の人たちを点景として描き、ギスギスした社会を浮き彫りにしています。同時に視聴率重視のテレビ局の取材・報道の在り方にも批判を向けています。
山梨の事件では女児の遺体の一部が2年7カ月後に発見されましたが、事故か誘拐か明らかになっていません。この映画の失踪は街中で起こっただけに誘拐の可能性が強いでしょう。しかも2年たっても何の手がかりも出てこない状態。娘を思う気持ちと世間からのバッシングで夫婦の苦悩には終わりが見えません。いったいこの話をどう終わらせるのかと思っていたら、もう一つの女児失踪事件を絡めた希望を感じさせるラストが用意されていました。ギスギスした人間ばかりじゃないわけです。
石原さとみともに、大きな攻撃にさらされる森優作、新人記者役の小野花梨も好演しています。
▼観客20人ぐらい(公開初日の午前)1時間58分。
「碁盤斬り」
古典落語の人情噺「柳田格之進」を基にした時代劇。人情噺だけでは2時間持たないので主人公が浪々の身となったきっかけの事件をめぐる復讐劇を加えてあります。白石和彌監督初の時代劇ですが、ほとんど自然光で撮ったんじゃないかと思える画面づくりは山田洋次監督の傑作「たそがれ清兵衛」(2002年)を思わせるレベル。清廉潔白を貫き、清貧に生きる主人公像も清兵衛に似ていますが、2つの話の融合が今一つなのと、人物描写の深みの点で残念ながら「清兵衛」の域には届いていません。主人公の柳田格之進(草なぎ剛)は娘の絹(清原果耶)と江戸の貧乏長屋に暮らし、篆刻で生計を立てている。囲碁の達人でもある格之進は商人の萬屋源兵衛(國村隼)と知り合い、一緒に囲碁を打つようになるが、ある夜、源兵衛宅で打っていた時、源兵衛が持っていた50両がなくなる。部屋にいたのはほかに格之進だけ。身に覚えのない疑いをかけられた格之進は切腹で疑いを晴らそうとしたところを絹に止められる。絹は吉原の女将お庚に身売りして50両を作った。
というのがオリジナルの落語の部分。この後、格之進の疑いは晴れ、絹も帰ってくることができ、ハッピーエンドを迎えます。映画はこれに格之進がなぜ貧乏長屋暮らしをすることになったのかの背景を描き、復讐の話につないでいきます。格之進は元は彦根藩の武士でしたが、謂れ無い罪を着せられ、妻も亡くしました。それが実は同じ藩士の柴田兵庫(斎藤工)の仕業であることが分かり、格之進は仇討ちの旅に出ることになる、という展開。
脚本は「凪待ち」(2018年)、「Gメン」(2022年)などの加藤正人。絹の身売りにタイムリミットを設定するなど工夫のある真っ当な脚色なんですが、なくなった50両と仇討ちを一緒に解決できるような話にしたいところでした。そこが惜しいと思います。
全国327館に中継された舞台あいさつ付きの回を観賞しましたが、清原果耶はなぜか舞台あいさつには参加していませんでした。残念。
▼観客30人ぐらい(公開2日目の午前)
「鬼平犯科帳 血闘」
松本幸四郎は長谷川平蔵として違和感がありませんし、話もこれ単体では悪くないと思ったんですが、「碁盤斬り」のレベルの高さに比べてしまうと、明るすぎる画面からしていかにもテレビドラマの水準に終わっています。脚本は大森寿美男、監督は山下智彦。これに先行してテレビ放映され、動画配信中の「本所・桜屋敷」(同じ脚本、監督コンビで時代劇専門チャンネルの最高視聴率だったそうです)よりは映画らしさを備えていますが、いずれにしても、6月、7月に放送される連続シリーズと連動する作品という位置づけ。テレビの延長線と言われても仕方ありません。
昨年の「仕掛人・藤枝梅安」2部作(河毛俊作監督)ぐらいの完成度が欲しかったところです。残虐な敵役の北村有起哉と、中村ゆり、志田未来、松本穂香の女優陣はそれぞれに良かったです。
▼観客15人ぐらい(公開4日目の午後)1時間51分。
「バジーノイズ」
むつき潤の同名コミックを「チア男子!!」(2019年)の風間太樹監督が実写映画化。マンションの住み込み管理人をしながら、作曲をしている主人公が音楽の道へ踏み出していくドラマです。元々の設定がそうなんですが、ほとんど無表情で他人との付き合いが苦手な主人公を演じる川西拓実(JO1)よりも相手役の桜田ひより、周囲の井之脇海、柳俊太郎、円井わんらの方が目立つ作品でした。
円井わんの見事なドラムさばきにびっくり。あまりうまくないけど、駒井蓮が歌を歌うシーンもありました。
▼観客7人(公開14日目の午後)1時間59分。
「恋するプリテンダー」
ひどい言い方であることは分かってますが、一流になりきれないスタッフ・キャストで作った下世話なラブコメという感じの作品。主演のシドニー・スウィーニーはスタイル抜群、相手役のグレン・パウエルはムキムキの筋肉質。この映画のエグゼクティブ・プロデューサーも務めたスウィーニーは決して悪くないので、作品に恵まれれば、これから売れていくのかもしれません。監督は「ピーターラビット」シリーズのウィル・グラック。
IMDb6.1、メタスコア52点、ロッテントマト53%。
▼観客6人(公開5日目の午後)1時間43分。
2024/05/12(日)「猿の惑星 キングダム」ほか(5月第2週のレビュー)
ネットニュースにもなってますから書いて良いと思いますが、劇団ひとりでした。主役の今田美桜以上に目立つわけにもいきませんし、意外性があって悪くないキャスティングだと思いました。
「猿の惑星 キングダム」
「猿の惑星 聖戦記」以来7年ぶりの続編。2011年に始まった新シリーズで猿(エイプ)のリーダーとなったシーザーの死から300年後の世界を舞台に、ウイルスによって退化した人間と進化したエイプたちの物語が描かれていきます。ワシを飼い慣らし、魚の漁をさせて暮らすイーグル族の村が甲冑をまとったエイプの軍隊に襲われる。主人公のチンパンジーのノア(オーウェン・ティーグ)は辛くも生き残り、連れ去られた仲間たちの後を追う。途中、オランウータンのラカ(ピーター・メイコン)と人間のメイ(フレイヤ・アーラン)と出会い、一緒に旅を続ける。ノアの仲間を連れ去ったのは王国を築こうとしていたプロキシマス・シーザー(ケヴィン・デュランド)と名乗るエイプで、人間や多くのエイプたちを奴隷にしていた。プロキシマスは人間が残した軍事力を貯蔵する倉庫の扉を開けようと画策していた。
監督は前作のマット・リーヴスから「メイズ・ランナー」(2014年)シリーズのウェス・ボールに代わりましたが、物語も演出もVFXも水準は保っています。というか、僕は良い出来だと思いました。
1968年の旧シリーズ第1作にあった人間狩りのシーンが復活したのは第1作と同じような状況だからですが、当然のことながら第1作のような衝撃はありません。内容そのものが旧第1作と第2作の変奏曲のようなプロットです。話はまだ続きそうなので、また三部作になるのでしょうかね。
IMDb7.3、メタスコア64点、ロッテントマト80%。
▼観客40人ぐらい(公開初日の午前)2時間25分。
「不死身ラヴァーズ」
両思いになると、相手が消えてしまうという高木ユーナの原作コミックを松居大悟監督が映画化。原作(全3巻)の1巻だけを読んだら、映画は原作とは男女を入れ替えてありました。これは多分、主演の見上愛側からの企画で見上愛を主演にする必要があったから変えたのだろうと思ったら、10年前、まだ原作が雑誌連載中だったころからの松居監督の念願の企画で、見上愛の主演はオーディションで決まったそう。でもこれは見上愛を主演にして正解だったと思います。一途に恋する女子を演じて、見上愛は元気いっぱい、笑顔全開の全力演技で好感度100点満点でした。
映画は幼い頃に病院で死にかけている自分を助けてくれた甲野じゅん(佐藤寛太)を一途に好きになり続ける長谷部りの(見上愛)を描いています。甲野に告白し、甲野も好きになってくれた途端に甲野は消えてしまいますが、甲野は何度も立場とキャラを変えて、りのの前に現れ、りのが告白し、甲野が消えるというパターンを繰り返します。後半、大学時代に現れた甲野は記憶が1日しか持たない障害を持っていて(またこの設定かと思うわけですが)、甲野が忘れても忘れてもめげずに毎日告白を続け、それに幸せを感じるりのが微笑ましくて、おかしくて良いです。
ただ、終盤に明らかになる相手が消える理由と仕組みがいまいち説得力を欠きます。合理的な理由にするのは難しいので、ファンタジーにした方が良かったのではないかと思いました。
見上愛を最初に認識したのは「異動辞令は音楽隊!」の時で、「あれ、出演者の中に名前がないのに小松菜奈が出てる」と勘違いしたのでした。出ていたのは小松菜奈ではなく、見上愛だったわけですが、この二人、顔つきがよく似ています。初の単独主演となったこの映画で、はっきり見上愛の良さが分かりました。コメディエンヌの素質十分なので、そういうジャンルで頑張ってほしいです。
▼観客6人(公開2日目の午前)1時間43分。
「無名」
日中戦争時代の上海を舞台に中国共産党、国民党、日本軍の間で繰り広げられるスパイ活動を描くサスペンス。人間関係が入り組んでいて、誰が敵か味方か分からず、終盤になって話の行き先がようやく分かりました。ラストのセリフは「今の中国映画ではまあ、そりゃそうだろうな」という感じ。主人公は中華民国・汪兆銘政権の諜報員フー(トニー・レオン)とその部下イエ(ワン・イーボー)。汪兆銘政権は日本の傀儡なので、日本軍とは近しいわけですが、そんなに単純には行かず、スパイには付きものの裏切りと非情さが混在した展開になっています。当時の中国情勢を知っていないと、理解しにくい部分があり、中国でも若い世代には分かりにくいんじゃないですかね。話を少しすっきりさせた方が良かったと思います。
監督は日中戦争前夜の上海を舞台にした「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海」(2016年)のチェン・アル。
IMDb6.3、メタスコア59点、ロッテントマト76%。
▼観客13人(公開6日目の午後)2時間11分。