2024/10/27(日)「八犬伝」ほか(10月第4週のレビュー)

 今年前半に公開されて「胸くそホラー」と話題になった「胸騒ぎ」(2022年、デンマーク=オランダ合作、クリスチャン・タフドルップ監督)のハリウッド版リメイク「スピーク・ノー・イーブル 異常な家族」が12月に公開予定です。オリジナルはメタスコア78点とまずまず高めの評価でした。リメイク版は66点と振るいません。監督のジェームズ・ワトキンスは「ディセント2」(2009年)や「ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館」(2012年)などB級ホラーの監督なのでまあ、そうだろうなと思います。

 オリジナルの方を見ていなかったので先日、配信で見ました。胸騒ぎと悪い予感しかない状況にもかかわらず、主人公一家が逃げられない展開には息苦しさとじれったさを感じるばかり。その後に来るのは予想以上の最悪の結末。僕だったら、死に物狂いで抵抗するけどなあ。リメイクはこのラストを改変しなかったんでしょうかね? 改変してカタルシスを描いた方が一般映画ファンの評価は高くなるかも、と思う一方で、改変したから評価が低いのかもしれない、とも思います。

「八犬伝」

 「南総里見八犬伝」の物語と、原作者である曲亭馬琴の執筆の姿を描いた山田風太郎原作の映画化。前半は「八犬伝」の物語だけで良かったんじゃないかと思い、後半は馬琴の晩年、息子の嫁のお路(みち)の助けを借りて口述筆記で作品を完成する姿だけで良かったんじゃないかと思いました。いずれにしても、2つの物語(虚の世界と実の世界)が相乗効果を上げているわけではなく、物足りなさを感じる結果になっています。

 僕らの世代で「八犬伝」と言えば、角川映画の「里見八犬伝」(1983年、深作欣二監督)よりもNHK連続人形劇「新八犬伝」(1973年4月~1975年3月、全464話)の印象が強く、珠(たま)に浮かび上がる「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の文字と意味はこの人形劇で覚えましたし、伏姫や犬塚信乃、「玉梓(たまずさ)が怨霊」などの登場人物は強く印象に残りました(人形デザインは辻村ジュサブロー)。1回15分の番組だったとはいえ、464話も描けるほどの物語を約2時間半の映画のそのまた半分ぐらいの八犬伝パートだけで描くのには無理があり、VFX場面をつないだ駆け足のダイジェストにならざるを得ません。

 一方の馬琴パート。馬琴を演じるのは役所広司、馬琴宅に遊びに来て「八犬伝」の物語を聞く葛飾北斎に内野聖陽、馬琴の愚痴っぽい妻に寺島しのぶ、馬琴の息子に磯村勇斗、その妻お路に黒木華というキャスティングです。このパートの出来が良いのは役者陣の好演もさることながら、正義を信じて勧善懲悪の物語を志向した馬琴の姿勢に共感できるからです。それを助けるお路は平仮名しか読み書きができませんでしたが、馬琴から分からない漢字を「分かりません。申し訳ありません」と言いながら一文字ずつ教わることで物語を書き、その完成に奇跡的な役割を果たします。

 映画では後半からしか登場しないお路の話をもっと見たいと思えるほどこのパートは良いです。映画は虚の世界と実の世界を交互に綴る原作の構成を踏襲してはいるのですが、時間的に十分に描けるはずのない「八犬伝」のパートは全体の1、2割にして馬琴とお路の話にもっと時間を割いた方が良かったのではないかと思います。「ピンポン」(2002年)、「鋼の錬金術師」(2017年)の曽利文彦監督だけにVFXで「八犬伝」を描きたい思いが強かったのかもしれません。
▼観客30人ぐらい(公開初日の午後)2時間29分。

「まる」

 何気なく描いた○(まる)が現代美術の傑作として世間の大評判を呼ぶという物語。予告編で見て想像していたよりずっと良い出来でした。荻上直子監督は社会の貧困、格差、差別、悪意、妬みなどを盛り込んで物語を構成していて、現代社会を批判した一種の寓話となっています。

 現代美術家のアシスタントとして働く沢田(堂本剛)は言われたことを淡々とこなす日々。通勤途中に事故に遭い、腕に怪我をしたことから職を失ってしまう。沢田は部屋にいた蟻を囲むようにして描いた○(まる)の絵を買い取ってもらうが、その絵は沢田が知らない間にSNSで拡散され、海外でも高く評価される社会現象となる。

 沢田がアルバイトしているコンビニの同僚ミャンマー人(森崎ウィン)の片言の日本語を嘲笑う客や、沢田を見下すかつての同級生(おいでやす小田)はマウントを取りたがる本当に下らない人間たちです。沢田のアパートの隣室に住む漫画家志望の横山(綾野剛)も自分を認めない社会に対して鬱屈した思いを抱えています。それに対して沢田は飄々としたキャラ。自分の絵が売れたことに驚いてはいますが、天狗になることもなく、傍観者的な振る舞いに終始しています。

 映画を見る前は堂本剛の主役起用に少し疑問も感じましたが、この役は堂本剛の雰囲気に実によく合っていました。力をこめるわけでもなく、「成功しなかったら、自分が好きなことを諦めなくちゃいけないんでしょうか」とさりげなく言うキャラとして無理がありません。荻上監督は堂本剛について「能動的ではない受け身の主人公を堂本さんが演じたら、それも新たな要素になりそうな気がした」と起用の理由を語っています。
▼観客4人(公開6日目の午後)1時間57分。

「2度目のはなればなれ」

 実話を基にしたイギリス映画。91歳のマイケル・ケインの俳優引退作であり、昨年6月に亡くなったグレンダ・ジャクソン(享年87)の遺作となりました。2人の共演は約50年ぶりと、公式サイトにありますが、何の映画かタイトルが書いてありません(この公式サイトは情報量がまったく不足しています。パンフレットも作っていないし、不遇な扱いですね)。調べたら「愛と哀しみのエリザベス」(1975年、ジョセフ・ロージー監督)という作品で、日本では劇場未公開(ビデオスルー)でした。

 2014年夏、90歳のバーナード(ケイン)とレネ(ジャクソン)の夫婦は老人ホームで暮らしている。ノルマンディー上陸作戦(Dデイ)に参加したバーナードはDデイ70周年式典に行きたかったが、ツアー参加申し込みに間に合わなかった。病弱なレネをホームに置いて自分だけ申し込むわけにはいかなかったからだ。レネから「行ってきて」と言われたバーナードはホームの職員には黙ってノルマンディーへの旅に出る。施設では行方不明になったと大騒ぎになる。

 原題は“The Great Escaper”(大脱走者)。ホームから“脱走”したバーナードを警察がツイートで“#The Great Escaper”とハッシュタグを付けたほか、新聞社も見出しにしたことに由来しています。バーナードはDデイで戦友の死を間近で見てトラウマを抱えていました。ノルマンディーに行く途中で知り合ったアーサー(ジョン・スタンディング)もまたバーナード以上の痛みを抱えています。映画は70年たっても戦争体験に苦しむ2人を描くことで静かな反戦映画となっていて、名優ケインの最後の作品として恥ずかしくない出来だと思います。監督は「ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬」(2011年)などのオリヴァー・パーカー。

 マイケル・ケインは主演・助演・脇役を含めて大変多くのさまざまな映画に出ている人ですが、僕はジャック・ヒギンズの傑作冒険小説を映画化した「鷲は舞い降りた」(1976年、ジョン・スタージェス監督)で演じた主人公クルト・シュタイナ役が好きでした。この映画にはジョン・スタンディングも神父役で出ていたそうです。
IMDb7.0、メタスコア68点、ロッテントマト89%。
▼観客11人(公開初日の午前)1時間37分。

「パリのちいさなオーケストラ」

 パリ郊外に住むアルジェリア系の少女がオーケストラの指揮者になる夢を実現した実話の映画化。世界で女性指揮者の割合は6%、フランスは4%だそうです。女性指揮者が少ない理由について調べてみましたが、体力・能力面での決定的な要因は見当たらず、クラシック業界にある女性への偏見と蔑視が大きな要因になっているのではないかと思います。ガラスの天井が厚いのでしょう。

 主人公のザイア(ウーヤラ・アマムラ)はこれに移民というハンディが加わります。双子の妹フェットゥマ(リナ・エル・アラビ)とともにパリ市内の名門音楽院に編入したザイアは指揮者を志すようになります。しかしザイアが指揮台に立っても最初は演奏者が言うことを聞きません。ザイアが数々の困難と障害を乗り越えて夢を実現する過程はオーケストラの音楽が次第に形になっていく過程と符合していて、手堅くまとまった作品になっています。脚本・監督は「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」(2014年)のマリー・カスティーユ・マンシヨン・シャール。
IMDb6.9、ロッテントマト100%(アメリカでは未公開)。
▼観客12人(公開5日目の午後)1時間54分。

2024/10/20(日)「ぼくのお日さま」ほか(10月第3週のレビュー)

 東京国際映画祭(10月28日~11月6日)のチケットが19日に発売されました。昨年は3本しか見られなかったので今年は7本を目指して争奪戦に参加しました。午前10時から午後6時まで特集ごとに4回にわけての発売で、見たい作品のチケットをすべて買うには1日がかりの作業になります。

しかも、販売サイトになかなかつながりません。つながった時には既に完売だったのが1本ありました。コンペティションに出品されている中国映画「チャオ・イェンの思い」で、僕は知りませんでしたが、主演女優のチャオ・リーインが人気なんだそうです。他の中国映画も人気で、日本在住の中国人が多く買ってるんじゃないでしょうか。

チケット販売サイトはパソコンよりもスマホの方がつながりやすく感じました。個人的に大本命の3DCGアニメ「野生の島のロズ」と吉田大八監督の「敵」(筒井康隆原作)が取れたので良かったです。

「ぼくのお日さま」

 パンフレットに登場人物の自己紹介文があり、荒川(池松壮亮)の紹介に「1969年2月27日生まれの31才です」とあって、えっと思いました。この映画、2000年の話だったのか。だから荒川の車はボルボ240エステートだったのか…。

 Wikipediaによると、ボルボ240は1974年から1993年まで生産された車。荒川はクラシックな車に乗ってるなあと思ったんですが、時代が2000年ならまだ普通に走っていたでしょう。ドラマ「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」で主人公一家が乗っていたのもこの車でした(NHKなのでドラマの中ではボルド。実際の岸田家はもっと新しいボルボだったようです)

 雪が降り始めてからとけるまでの、つまり一冬のかわいくて苦い恋の物語。商業映画デビューの奥山大史監督は前作「僕はイエス様が嫌い」(2019年)と同じスタンダードサイズの画面で淡い恋心を綴っています。

 主人公のタクヤ(越山敬達)は少し吃音がある12歳。ある日、ドビュッシーの「月の光」に合わせてフィギュアスケートを練習する少女さくら(中西希亜良)の姿に心を奪われる。元フィギュアスケート選手でさくらのコーチをしている荒川(池松壮亮)はホッケー靴のままフィギュアのステップを真似て何度も転ぶタクヤを見つける。荒川はスケート靴をタクヤに貸し、練習につきあう。そしてタクヤとさくらはペアでアイスダンスの練習を始める。

 タクヤは1歳年上のさくらが好きで、さくらは荒川に恋していて、荒川は五十嵐(若葉竜也)と同棲しているという関係。アイスダンス大会への練習は順調だったんですが、ふとしたことで、さくらの荒川への思いは壊れ、アイスダンスの練習も終わってしまいます。奥山監督は吃音の少年を歌ったハンバート ハンバートの「ぼくのお日さま」をモチーフに物語を作っていったそうです。

 良い話ですが、おじさんには少し幼すぎるかなあ。さくらのLGBTQへの無理解な発言がそのままになっているのも少し気になりました。池松壮亮は氷の上に立ったこともなかったそうですが、半年間の練習でコーチ役として不自然ではない滑りを見せています。さすがです。
▼観客9人(公開初日の午後)1時間30分。

「破墓 パミョ」

 冒頭、飛行機の中で客室乗務員から日本語で話しかけられたファリム(キム・ゴウン)が「日本人じゃありません」と流ちょうな日本語で返すシーンがあります。これはクライマックス、日本語でしゃべる必要のある場面への伏線。日本の化け物が出てくるからです。

 ファリムは韓国シャーマニズムの代表的存在である巫堂(ムーダン)で、風水師のサンドク(チェ・ミンシク)、喪儀師ヨングン(ユ・ヘジン)ファリムの弟子の巫堂ボンギル(イ・ドヒョン)とともに霊的な事件の解決に当たっているという設定。代々跡継ぎが謎の病気にかかっている家族から破格の報酬で依頼を受けたファリムとボンギルは原因が先祖の墓にあると気付く。不吉な山の上にある墓を暴くため、サンドクとヨングンも合流し、4人はお祓いと改葬を同時に行う。墓を掘り返していくうちに不可解な出来事に巻き込まれる。

 棺の蓋を開けたために、霊魂が飛び出し、なんとかそれを退治するわけですが、墓の下にはもう一つの巨大な棺が埋まっていた、という展開。土着宗教絡みの話が「哭声 コクソン」(2016年、ナ・ホンジン監督)、シャーマン姉妹が出てくる点で「来る」(2018年、中島哲也監督)を思い起こさせました。この4人のチーム、なかなか良くて、シリーズ化してもいいんじゃないかなと思いました。映画はクライマックスが少し長い(この長さならもう一つ要素がほしい)のが難点ですが、僕は好きなタイプの映画です。

 チャン・ジェヒョン監督は「プリースト 悪魔を葬る者」(2015年)などオカルティックな題材が好きなようで、前作「サバハ」(2019年)はNetflixで配信されています。
IMDb6.9、メタスコア80点、ロッテントマト93%。
▼観客11人(公開初日の午前)2時間14分。

「ポライト・ソサエティ」

 英国ワーキングタイトル製作の青春アクション。という内容は事前には知らず、インドかどこかの女性差別を盛り込んだ話と思ってました。監督のニダ・マンズールはパキスタン系イギリス人なので、主人公の一家もパキスタン系なのでしょう。

 スタントウーマンを目指す女子高生リア・カーン(プリヤ・カンサラ)はカンフーの修行に励んでいるが、学校では変わり者扱い。親からも堅実な仕事に就くようにと説教される。リアの唯一の理解者である姉リーナ(リトゥ・アリヤ)がある日、富豪の息子でプレイボーイのサリム(アクシャイ・カンナ)と恋に落ち、結婚することに。リアは彼の一族に不審な点を感じ、調べると、結婚の裏にはとんでもない陰謀が隠されていた。

 その陰謀というのがSFチックでリアリティーに欠けます。プリヤ・カンサラのアクションは悪くありませんが、ハードなものではなく、全体的に高校生向けを意識した作りと思えました。なぜか浅川マキの「ちっちゃな時から」(1970年)が流れます。
IMDb6.7、メタスコア75点、ロッテントマト91%。
▼観客6人(公開14日目の午後)1時間44分。

「若き見知らぬ者たち」

 なんだこれ、と思うようなストーリー展開で、唖然としました。傷害の3人放置、事件を隠蔽した警官放置…。それでいったい何が言いたいのか判然としません。社会への怒り? 警察への怒り? 不幸な主人公への憐憫? この焦点ボケボケの脚本では磯村勇斗や岸井ゆきのや染谷将太や霧島かれんや滝藤賢一がいくら熱演しても映画が成功することはあり得ません。プロデューサーは脚本にノーと言うべきでした。

 風間彩人(磯村勇斗)は死んだ父(豊原功補)の借金返済の傍ら、家の内外で迷惑な行動を繰り返す病気の母(霧島れいか)の面倒を見ている。昼は工事現場、夜は両親が開いたカラオケバーで働く。彩人の弟・壮平(福山翔大)も借金返済と介護を担いながら総合格闘技の選手として練習に打ち込んでいる。彩人には恋人の日向(岸井ゆきの)がいるが、結婚への展望は開けない。親友の大和(染谷将太)の結婚を祝う夜、彩人を思いもよらない暴力が襲う。

 脚本・監督は快作「佐々木、イン、マイマイン」(2020年)の内山拓也。本作は内山監督の知人に起きた事件を基にしているそうです。予告編と映画のコピー「何が彼を殺したのか」でネタを割ってますが、主人公の理不尽な死に焦点を絞って脚本化した方が良かったでしょう。その後に延々と続く弟の格闘技シーンは不要です。同じ画面の中で回想に移る手法など映画の技法に凝る前に、脚本の完成度を高めるのが先でした。
▼観客4人(公開5日目の午後)1時間59分。

2024/10/13(日)「室井慎次 敗れざる者」ほか(10月第2週のレビュー)

 朝ドラ「おむすび」は1週目で早くも見るのをやめた、という声があって厳しいスタートですが、評価の高かった「虎に翼」の後では分が悪い面もありますね。脚本の根本ノンジは「正直不動産」や「監察医朝顔」を書いた人。いずれも原作が漫画のドラマです。

 できるオーラを発散させているのに実は無能な鷹野ツメ子(菜々緒)が主人公のコメディー「無能の鷹」(テレ朝)がおかしかったので脚本家を確認したら、根本ノンジでした。これも漫画原作です。根本ノンジ、原作のあるドラマの脚本は20作以上書いているようです。脚色がうまい人なんでしょうか。

 と思って、「無能の鷹」のKindle版1巻(例によってamazonで期間限定無料)を読んだら、ドラマはかなり脚色していることが分かりました。第1話はオリジナルの部分が半分以上を占めた感じで、追加したエピソードはどれもおかしくて良いです。コメディーの脚色に真価を発揮する人なのでしょう。いっそのこと、朝ドラもコメディーにしちゃえばいいんじゃないですかね。

「室井慎次 敗れざる者」

 「踊る大捜査線」シリーズの室井慎次管理官を主人公とする劇場版。11月15日公開の「室井慎次 生き続ける者」と前後編の関係にあり、本作で起きた事件の解決は後編に持ち越されます。

 定年前に警察を退職した室井(柳葉敏郎)は故郷秋田の田舎で里子の2人、高校生の貴仁(齋藤潤)と小学生の凜久(前山くうが・こうが)と穏やかに暮らしていたが、家の近くで埋められた死体が発見される。死体は男で、かつてのレインボーブリッジ封鎖(できなかった)事件の犯人グループの1人だった。そんな時、室井の前に1人の少女が現れる。その少女、日向杏(福本莉子)は猟奇殺人犯・日向真奈美(小泉今日子)の娘であることが分かる。杏は室井の家で一緒に暮らすことになるが、悪意のこもった不審な言動をして仲の良かった3人の間に波紋を引き起こす。

 というわけで、劇場版1作目と2作目の事件が関係してくる展開です。このほか、湾岸署の警官だった甲本雅裕、遠山俊也、管理官で今は秋田県警本部長の筧利夫らが出演。回想場面で織田裕二、深津絵里、ユースケサンタマリア、真矢ミキも出てきます。ドラマとこれまでの劇場版を参照したセリフ・場面もありますが、ほとんどはエンドクレジットの映像で説明されていて、これまでのシリーズを見ていなくても大きな支障はありません。

 君塚良一脚本らしいなと思うのは母親(佐々木希)を殺された貴仁が弁護士(生駒里奈)の要請で犯人と面会する場面。弁護士は裁判での情状酌量を目当てに事件を反省する犯人の手紙を貴仁に送らせ、面会にこぎつけたのですが、実際には反省のかけらも見られない犯人を目にした貴仁は室井に影響された正義感あふれる言葉を犯人に投げつけます。

 貴仁、凜久、杏はいずれも犯罪被害者・加害者の家族。この設定は君塚良一監督・脚本の「誰も守ってくれない」(2009年)のテーマと通底しています。「被害者も加害者も、残された者の思いは一緒かもしれない。それまで一緒に暮らしていた者を失うってことでは」というセリフが「誰も守ってくれない」の中にありました。こう話したペンション経営者は息子を殺されていて、それを柳葉敏郎が演じていました。

 続きをどうしても見たくなるクリフハンガー的なラストではありませんが、君塚良一の脚本は好きなので、次も見たいと思います。監督は「踊る」シリーズのほとんどを担当している本広克行。
▼観客多数(公開初日の午前)1時間55分。

「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」

 「バットマン」シリーズの悪役ジョーカーをシリアスに描いて高い評価を得た「ジョーカー」(2019年)の続編。前作でジョーカーことアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は格差社会への怒りを背景に民衆のヒーローとなりました。監督のトッド・フィリップスは本作でそれをぶち壊しています。低評価の一因はその筋立てにもあるのでしょうが、語り方としてもあまりうまくないと思えました。

 「フォリ・ア・ドゥ」は二人狂い=感応精神病のこと。公式サイトには「妄想を持った人物Aと、親密な結びつきをのある人物Bが、あまり外界から影響を受けずに共に過ごすことで、AからBへ、もしくはそれ以上の複数の人々へと妄想が感染、その妄想が共有されること」とあります。

 前作の最後でアーカム州立病院に収容されたアーサーはジョーカーを信奉するリー(レディー・ガガ)と出会い、2人は愛し合うようになる。周囲から理解されず、孤独だったアーサーにとっては初めての恋人。アーサーは妄想の中でリーと一緒に歌い、踊る。病院内で、そして自身の裁判が行われる法廷で。

 面会室の場面でレディー・ガガが歌う「遙かなる影」“(They Long To Be) Close To You ”が良いです。ガガの歌声には1970年に歌ったカレン・カーペンターに劣らない魅力があります。



 しかし、この映画、ミュージカルにする必要があったとは思えません。「ジョーカーはいない」と裁判の最終弁論で唐突に言うアーサーの心の変化をもっと詳細に描いた方が良かったでしょう。

 「二人狂い」のタイトルとは裏腹に、これはジョーカーが正気のアーサーに戻る物語であり、狂気の伝染・拡大を常識的に止める物語。その過程に説得力がないことが低評価の要因だと思います、
IMDb5.3、メタスコア45点、ロッテントマト33%。
▼観客7人(公開初日の午後)2時間18分。

「ナミビアの砂漠」

 カンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した山中瑶子監督作品。男女の間には深い溝があるなあと思わざるを得ない映画で、主人公カナ(河合優実)の行動が僕にはよく理解できません。女性は共感を持つ場合が多いようなので、深い溝を感じた次第。

 カナは美容脱毛サロンに勤める21歳。同棲相手のホンダ(寛一郎)がいますが、今はハヤシ(金子大地)とも付き合っています。ホンダはカナのために食事を用意し、経済的にも援助しています。しかし、北海道出張から帰ってきたホンダは先輩の誘いで風俗に行ってしまったと告白。カナはこれ幸いと、ホンダがいない間にアパートを出て、ハヤシのアパートで暮らし始めます。

 優しく保護してくれるホンダの方が良い男のように思えますが、保護と支配は紙一重。言いたいことを言えて、喧嘩で殴ったり蹴ったりできるハヤシとの関係の方が対等になれるのかもしれません。ところが、対等どころか、「仕事やめていい?」と聞くカナにはあきれます。今は家事もほとんどしていないようでアパートは散らかり放題ですが、仕事をやめれば改善されるんですかね? 身近にいると限りなく腹が立つ、自己中心的タイプと思えました。

 ただ、そういう理解できない女を演じても河合優実は良いです。「あんのこと」(入江悠監督)に続く今年2本目の主演作ですが、多くの監督から引っ張りだこなのはルックスも演技もそれほどの実力を備えているからでしょう。今後も主演作を見るのが楽しみです。

 風俗に行ったことを平謝りするホンダを見て連想したのは「結婚しない女」(1977年、ポール・マザースキー監督)で1年前からの不倫を泣きながら告白する夫を冷めた目線で見るジル・クレイバーグのこと。当時、「ジュリア」や「グッバイガール」「ミスター・グッドバーを探して」など自立する女性を主人公にした女性映画のくくりがありましたが、思えば、当時の作品はどれも男性監督の映画でした。男性目線のフィルターが入っているので、男にも理解しやすかったのでしょう。
▼観客7人(公開5日目の午後)2時間17分。

「ランサム 非公式作戦」

 レバノンで拉致された韓国人外交官の実話を基にしたアクション。救出の詳細を韓国政府が明らかにしていないので、物語のほとんどはフィクションでしょう。前半は普通の出来、後半はとても面白く見ました。

 外交官が拉致されたのは1986年1月。それから1年半後に生きていることが分かり、身代金500万ドルを払うため外交官のイ・ミンジュン(ハ・ジョンウ)がレバノンに派遣されます。ミンジュンは現地で知り合った韓国人タクシードライバーのキム・パンス(チュ・ジフン)の協力を得て、半金の250万ドルを支払いますが、韓国政府が残りの250万ドルを払うのを渋ったため、救出した外交官と3人でレバノンを自力で脱出する羽目になります。

 監督は「最後まで行く」(2014年)のキム・ソンフン。手堅い演出で、アクションシーンだけでなく、クライマックスの空港のシーンなどは感動的に盛り上げています。
IMDb6.6、ロッテントマト90%(アメリカでは限定公開)。
▼観客7人(公開7日目の午後)2時間13分。

「ふれる。」

 ある島に伝わる不思議な生き物“ふれる”を通じて親友になった男3人を描くアニメーション。「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(2013年)「心が叫びたがってるんだ。」(2015年)の長井龍雪監督作品で、脚本は岡田麿里。

 ふれるには触れ合うと、お互いの考えていることが分かる能力があり、そのことで3人は親友になるわけですが、ふれるの本当の能力は実は、ということが終盤に分かります。

 東京での男3人の共同生活に女性2人が加わったことで、3人の関係に変化が生まれるドラマが良いです。これは実写でもOKな話ではと思ってしまいますが、クライマックスにはスペクタクルなシーンがあります。ただ、これはなくても良いシーンじゃないですかね。それまでのドラマが充実しているだけにそう思えました。
▼観客11人(公開6日目の午後)1時間47分。

2024/10/06(日)「ぼくが生きてる、ふたつの世界」ほか(10月第1週のレビュー)

 秋アニメ期待の1作「ダンダダン」の第1話「それって恋のはじまりじゃんよ」は期待以上の快作でした。少年ジャンプ+で連載中の龍幸伸の原作はUFOと幽霊と青春下ネタとラブコメと壮絶なバトルを混ぜ合わせ、超丁寧な作画で仕上げた作品ですが、サイエンスSARUによるアニメはこれを完璧に映像化した上で圧倒的なスピード感を加えています。「ダンダダン、ダンダダン、ダンダダン、ダンダダン、ダンダダン、ダンダダン、ダンダダン、ダンダダン、ダンダダン…」と繰り返すオープニングのCreepy Nuts「オトノケ」が一気に気分を上げる曲で、「Bling-Bang-Bang-Born」(「マッシュル MASHLE」第2期主題歌)に続いて大ヒット間違いなしでしょう。

 霊媒師の祖母から受け継いだ超能力が発現する主人公の綾瀬桃、妖怪ターボババアの霊力を得たオカルトマニアのオカルンこと高倉健(!)の声をそれぞれ演じる若山詩音と花江夏樹もイメージ以上。2話目以降も楽しみです。

「ぼくが生きてる、ふたつの世界」

 五十嵐大の自伝的エッセイ「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」(幻冬舎文庫版は映画と同じタイトルに改題)を港岳彦脚本、呉美保監督で映画化。耳の聞こえない両親を持つ主人公の誕生からほぼ時系列で描き、両親、特に母親への反発と理解するまでを描いています。

 宮城県の小さな港町が舞台。五十嵐大(吉沢亮)は耳のきこえない両親(忍足亜希子、今井彰人)から生まれ、祖父母(でんでん、烏丸せつこ)も一緒に暮らし、愛されて育った。大は幼い頃から母に手話で通訳する良い子だったが、小学生の頃、家に来た友人に「お前んちの母ちゃん、喋り方おかしくない?」と言われたことから、両親に対して徐々に複雑な感情を抱くようになる。人前では母親を避けるようになり、参観日があることも知らせなかった。高校受験に失敗した大は母親に「お母さん、何も助けてくれなかったじゃん! 俺、こんな家、生まれてきたくなかったよ!」と理不尽な言葉を投げ付けてしまう。親へのもやもやを抱えたまま、大は20歳の時、東京に旅立つ。

 主人公がコーダであることから「コーダ あいのうた」(2021年、シアン・ヘダー監督)を思い浮かべて見ていましたが、それ以前にろうの両親とコーダの息子の関係を描いた映画に松山善三監督の「名もなく貧しく美しく」(1961年、キネマ旬報ベストテン5位)があるのを思い出しました。今見返してみると、ろう者の高峰秀子が中途失聴者の設定ではあっても、話しすぎではないかと思えますが、母に対する反発を覚える息子という関係は「名もなく…」でもしっかり描かれていました。

 違うのは母親視点の「名もなく…」に対して、本作は息子の視点で描かれていること。思春期の行動があんまりなので、この息子、見苦しい自己憐憫と見当違いの被害者意識を持ったしょうがないやつと思えてきますが(自分のことなのに原作者も「どうしてそんなひどいことを言うんだろう」と映画を見て思ったそうです)、この母親と息子の関係はろう者とコーダの枠を超えて普遍性のあるものになっています。

 また、この映画、ろう者の役はすべて実際のろうの役者が演じたそうです。ろう者の役を聴者が演じることは世界的に、特にアメリカ映画ではコンプライアンス的にNG。日本ではその意識が低いこともあって、テレビドラマではまだ普通にやってますが、これは作品中心ではなく役者ありきの企画のためもあるでしょう。

 パンフレットを読むと、呉美保監督、脚本の港岳彦、主演の吉沢亮、忍足亜希子がいずれも題材に対して真摯に誠実に取り組んでいることがよく分かります。映画の出来が水準をしっかりクリアしたのはそうした取り組みの結果でしょう。ただ、傑作と呼ぶにはもう少しプラスαの部分が欲しかったと思います。登場人物の同じ環境をエンタメにくるんで感動的に描きあげた「コーダ あいのうた」の域に到達するのはなかなか難しいことなのでしょう。
▼観客多数(公開2日目の午後)1時間45分。

「トランスフォーマー ONE」

 オプティマスプライムとメガトロンが誕生するまでを描く3DCGアニメ。そう聞いて、何も感じない人は見る必要のない映画です。と思いましたが、始まりの話なので知識ゼロでもOKです。

 僕は「トランスフォーマー」シリーズには何の思い入れもありません。物語はサイバトロン星で終始し、地球は出てきません。そうなると、オプティマスプライムのトレーラーをはじめ、機械生命たちが人間の乗り物である自動車にトランスフォームするのは変ですね。この映画の中にその説明はありませんでしたが、他の作品で説明されてるんですかね?

 物語自体は真っ当な作りでした。監督は「トイ・ストーリー4」(2019年)のジョシュ・クーリー。
IMDb7.8、メタスコア63点、ロッテントマト89%。
▼観客11人(公開14日目の午後)1時間45分。

「シビル・ウォー アメリカ最後の日」

 内戦の銃撃戦よりも、無法地帯となり武器を持つ兵士が跋扈する描写が怖いです。廃墟を行くジャーナリストたちの描写がまるで「ウォーキング・デッド」のような終末SFに似ているのは監督のアレックス・ガーランドが「エクス・マキナ」(2015年)「アナイアレイション 全滅領域」(2018年)「MEN 同じ顔の男たち」(2022年)などほとんどSFばかりを撮ってきた人だからでしょう。いや、ガーランドは「28日後…」(2002年、ダニー・ボイル監督)というソンビが跋扈する終末SFの脚本も書いているので、同種の「ウォーキング・デッド」の名前を出すまでもないですね。

 ちなみに「28日後…」には続編の「28週後…」(2007年、フアン・カルロス・フレスナディージョ監督)がありますが、さらにガーランド脚本、ボイル監督で「28年後…」の製作が予定されています。

 連邦政府から19州が離脱し、テキサス・カリフォルニア同盟からなる西部勢力と大統領率いる政府軍の内戦が続いているという設定。政府軍が敗色濃厚の中、ニューヨークの戦場カメラマン、リー・スミス(キルステン・ダンスト)は14カ月も取材を受けていない大統領に単独インタビューするため、ワシントンD.C.までの1379キロを記者のジョエル(ワグネル・モウラ)、ベテラン記者サミー(スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン)、若手カメラマン・ジェシー(ケイリー・スピーニー)とともに車で行こうとする。途中、リーたちは略奪者を拷問する男たちや民兵グループの銃撃戦、残虐な武装集団に遭遇する。

 民主党が強いカリフォルニア州と共和党の支持基盤であるテキサス州が手を組むのは大統領がファシストだからで、民主・共和が協力してファシズムを倒すのがこの映画の構図です。ホワイトハウスはいわば悪の巣窟と化しており、西部勢力はそれを奪還する正義の戦いを行っているわけです。「スター・ウォーズ」の帝国対反乱軍の構図と同じと言えるでしょう。ただ、これはパンフレットのガーランド監督のインタビューを読んで分かったことで、映画では詳しく説明していません。

 クライマックスにはホワイトハウス周辺での大迫力の戦闘が描かれます。個人的にはその前のシーン、大量の死体を処分しようとしている兵士たちにリーたちが遭遇するシーンが戦場での命の軽さを描いて秀逸だと思いました。無造作にアジア人を射殺する赤いサングラスの兵士を演じたジェシー・プレモンスが怖すぎです(急遽の代役で撮影も2日間で終わったためかクレジットされていません)。

 カメラマン役のケイリー・スピーニーは26歳ですが、主演した「エイリアン ロムルス」よりもずっと若い感じで、10代かと思いました。
IMDb7.0、メタスコア75点、ロッテントマト81%。
▼観客30人ぐらい(公開初日の午前)1時間49分。

「流麻溝十五号」

 白色テロ時代の台湾で島の政治犯収容所の女性たちを描く事実を基にしたドラマ。白色テロは1949年から1987年まで続きましたが、映画が描くのはその初期の1953年。収容所に連行された者たちは名前ではなく番号に置き換えられ、重労働を課せられます。絵を描くことが好きな高校生・ユー・シンホェイ(ユー・ペイチェン)、子どもが生まれて問もなく投獄された看護師イエン・シュェイシア(シュー・リーウェン)、妹を拷間から守るため自首したチェン・ピン(リェン・ユーハン)らは一日一日を生き延びようとします。

 台湾で行われたのは共産主義者への弾圧ですが、共産党政権が弾圧する場合もかつての中国やカンボジアを持ち出すまでもなくあります。いずれにしても独裁・強権政治がやることにろくなことはない、ということを痛感させる映画です。タイトルの流麻溝十五号は収容所の住所。監督はゼロ・チョウ。主演のユー・ペイチェンは古川琴音に似てますね。
IMDb7.1(アメリカでは未公開)
▼観客7人(公開6日目の午前)1時間52分。

「ビートルジュース ビートルジュース」

 ティム・バートン監督のホラーコメディー「ビートルジュース」の36年ぶりの続編。前作も好きでしたが、今作も悪くありません。ビートルジュース役のマイケル・キートンは白塗りメイクだけに年齢を感じさせません。前作で結婚を迫られたウィノナ・ライダーはさすがに年齢的には厳しいですが、「ストレンジャー・シングス」に続いて母親役がよく似合ってます。

 その娘アストリッドを演じるのが「ウェンズデー」(Netflix)のジェナ・オルテガ。ビートルジュースの元妻ドロレスを演じるモニカ・ベルッチは現在、バートンと交際中だそうです。

 バートンの趣味なんでしょうが、「マッカーサー・パーク」や「ソウル・トレイン」などの音楽が懐かしかったです。
IMDb7.0、メタスコア62点、ロッテントマト77%。
▼観客4人(公開5日目の午後)1時間45分。

2024/09/29(日)「憐れみの3章」ほか(9月第4週のレビュー)

 テレ朝開局65周年記念ドラマの「終りに見た街」は山田太一原作・脚本で過去2回(1982年、2005年)、ドラマ化されていますが、今回は宮藤官九郎が脚本を担当しています。何がそんなに面白くて何度も映像化するのかと思いますが、驚いたことにこの原作、ラジオドラマ(2014年)と舞台版(1988年)もあるそうです。僕は初めて見ました。

 2024年から戦争中の昭和19年(1944年)に家ごとタイムスリップした脚本家・田宮太一(大泉洋)の一家5人と知人の小島敏夫(堤真一)親子の物語。7人は社会環境の大きな違いに戸惑いながらも、協力して戦時下の厳しい時代を生きていくことになります。そして10万人が死んだ東京大空襲の犠牲者を少しでも減らそうと、ゲリラ的な周知活動を始めます。

 タイムスリップの理由も仕組みも明らかにされず、単なるタイムスリップではない可能性も示唆されますが、詳細は説明されません。ポイントは、唐突でショッキングなラスト(タイトルはここを指しています)と、子どもたちが次第に戦争中の鬼畜米英意識に染まっていく描写にあります。山田太一は小学5年で終戦を迎えたそうで、戦時中の空気を知っていることがこの小説を書かせたのでしょう。

 ドラマは残念ながら、CMを入れた2時間枠では描写が足りず、ダイジェスト感が否めませんでした。クドカンはこの小説を読んで「不適切にもほどがある!」を発想したんじゃないかと、ふと思いました。

「憐れみの3章」

 ヨルゴス・ランティモス監督によるブラックで奇妙な味わいの3話のオムニバス映画。
「R.M.F.の死」「R.M.F.は飛ぶ」「R.M.F.はサンドイッチを食べる」の3話で、出演者は3話それぞれで別の役を演じています。R.M.F.って何だと思ってしまいますが、登場人物の服の胸にある刺繍として出てくるものの、特に説明はありません。

 「女王陛下のお気に入り」(2018年)「哀れなるものたち」(2023年)では薄められたランティモス作品の気味の悪さ、おぞましさがやや復活した印象で、これは「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」(2017年)までランティモス映画の脚本を担当していたエフティミス・フィリプが脚本に再び加わったことも影響しているでしょう。

 3話のうち、僕が特に面白かったのは第2話。海で行方不明となった妻(エマ・ストーン)が無事に帰ってくる。妻は靴のサイズが合わなくなっているなどおかしな点があり、夫(ジェシー・プレモンス)は妻そっくりの別人ではないかと疑う。そのためか、奇妙な行動が多くなった夫は「君の指を料理して食べさせてくれ」と頼む。

 ジャック・フィニイ「盗まれた街」のようにSF的にいくらでも発展させられそうな設定ですが、ランティモス作品なので妻の正体は謎のままです。妻が不明の間、同僚の友人夫婦の家に行った主人公は「久しぶりに妻のビデオを見たい」と頼みます。友人は「それはあまり良い考えではないと思うよ」と止めますが、それもそのはず、そのビデオは友人夫婦との4Pセックスを映したものでした。この第2話は描写も強烈なのでご注意。

 万人向けの映画とは言えませんが、第3話にあるエマ・ストーンのくねくねダンスなど奇妙なおかしさも至るところにあり、そういう変わった映画を好きな人には楽しめると思います。
IMDb6.6、メタスコア64点、ロッテントマト71%。
▼観客4人(公開初日の午後)2時間44分。

「アビゲイル」

 身代金目的で富豪の娘・12歳のアビゲイルを誘拐したら、この少女はヴァンパイアで、犯人グループは屋敷に閉じ込められて1人1人殺されていく、というホラー。予告編で少女=ヴァンパイアのネタを割っていましたが、それを知っていても悪くない出来だと思いました(何も知らないで見るに越したことはありません)。

 吸血鬼の心臓に杭を打つと、吸血鬼は絶命して灰になる、という描写が一般的ですが、この映画の場合、爆発して盛大に血肉をばらまきます。そうした派手な血みどろ描写が苦手な人は後半を評価しないでしょう。僕ももう少し描写のバリエーションが欲しいとは思いましたが、そこを理由に貶すほどではないです。ただし、吸血鬼にとって人間は単なる餌なので、人間に対して親しみや友情を感じることはないんじゃないでしょうかね。

 犯人グループには主人公のジョーイ(メリッサ・バレラ)とサミー(キャスリン・ニュートン)という女性2人がいます。メリッサ・バレラは「スクリーム」シリーズや「イン・ザ・ハイツ」(2020年、ジョン・M・チュウ監督)に出演。キャスリン・ニュートンは「ザ・スイッチ」(2020年、クリストファー・ランドン監督)で殺人鬼と体が入れ替わる女子大生を演じていました。監督は「スクリーム」(2022年)のマット・ベティネッリ=オルピン。
IMDb6.6、メタスコア62点、ロッテントマト83%。
▼観客5人(公開14日目の午前)1時間49分。

「Cloud クラウド」

 パンフレットのインタビューで黒沢清監督が言及している「まったく知らない他人同士がインターネット上で連絡を取り合い、ターゲットとなる人物を殺害してしまった」事件はたぶん「名古屋 闇サイト殺人事件」(2007年)でしょう。知らない人間同士が協力して事件を起こすというのは「アビゲイル」の誘拐犯グループも同じでした。

 黒沢監督は「僕は前々から殺人の理由などないと思っています」と語っています。「誰の身にもふとしたことで起こりうる突発的な事態なのではないか」。前作「Chime」もそうでしたが、作品に不条理さがつきまとうのはそうした考えがあるからなのでしょう。

 映画の前半はネットで転売屋を営む主人公(菅田将暉)のあくどい手口を描き、後半は一転して、主人公を狙う男たちとの銃撃戦になります。男たちは主人公と直接的な関わりがあったり、ネットであくどさを知っている程度だったりします。普通なら殺人までは考えないでしょうが、それが命を狙ってくるのは黒沢監督の「殺人の理由などない」という考えの表れでしょう。ただし、こうした映画で観客は「腑に落ちたい」と思う場合が多く、腑に落ちないと「説得力がない、描き方が足りない」と思ってしまいます。というか、僕はそう思いました。このあたりは不条理さの魅力とトレードオフのところがあります。主人公が転売で儲けた金目当てという設定を入れると良かったかもしれません(この主人公はあまり金を貯め込んでいませんが)。

 映画評論家の森直人は前半と後半で『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(1996年、ロバート・ロドリゲス監督)並みにジャンルが変わる、とパンフレットに書いていますが、それを言うなら、「アビゲイル」もそうで、ヴァンパイア絡みということで言えば、「アビゲイル」の方が「フロム・ダスク…」に近いです。ただ、話の構造は似ているにしても、両者ともパクリではありません。もちろん、黒沢監督は「フロム・ダスク…」を意識してはいなかったでしょう。

 アカデミー国際長編映画賞の日本代表作品に選ばれたそうですが、ノミネートは厳しいんじゃないかと思いました。
IMDb6.4、メタスコア71点、ロッテントマト91%。
▼観客12人(公開初日の午前)2時間3分。

「ぼくの家族と祖国の戦争」

 第二次大戦中、ドイツから難民受け入れを強いられたデンマークの人々を描くドラマ。

 1945年4月、ナチス・ドイツの占領下にあったデンマークのフュン島が舞台。市民大学の学長ヤコブ(ピルー・アスベック)は現地のドイツ軍司令官から難民200人を学校に受け入れろと命令される。ところが、列車で到着した難民は500人以上。体育館に収容するが、ドイツ軍は食糧を用意せず、子どもを含む多くの難民が飢餓と感染症の蔓延で命を落としていく。見かねたヤコブと妻のリス(カトリーヌ・グライス=ローゼンタール)は救いの手を差し伸べる。それは同胞たちから裏切り者と扱われかねない行為だった。

 今の難民問題にも通じるテーマですが、ここでの難民は戦争敵国の人間なので問題は複雑です。非戦闘員であってもナチスのバッジを付けた人間も含まれています。それでもイデオロギーや主義主張の違いを超えて、目の前で苦しむ人を放っておけないという人道的な気持ちで救おうとする学長の判断はまったく正しいと思います。

 事実を基にしているそうですが、どこまでが事実なのかは分かりません。監督は「バーバラと心の巨人」(2017年)のアンダース・ウォルター。
IMDb7.0(アメリカは未公開)
▼観客6人(公開3日目の午前)1時間41分。

「ある一生」

 1900年頃のオーストリア・アルプスを舞台に1人の男の苦難に満ちた生涯を描くドイツ=オーストリア合作映画。ブッカー賞最終候補にもなったローベルト・ゼーターラーのベストセラー小説が原作で「ハネス」(2021年)のハンス・シュタインビッヒラーが監督しています。

 孤児の少年アンドレアス・エッガー(イヴァン・グスタフィク)が主人公。エッガーは遠い親戚クランツシュトッカー(アンドレアス・ルスト)の農場に引き取られますが、安価な働き手の扱いで、虐げられます。心の支えは老婆アーンル(マリアンヌ・ゼーゲブレヒト)の存在だけ。成長したエッガー(シュテファン・ゴルスキー)はアーンルが亡くなると農場を出て、日雇い労働者として生計を立てます。ロープウェーの建設作業員として働いているとき、マリー(ユリア・フランツ・リヒター)と出会い、結婚。しかし、幸せは長くは続かず、子どもを妊娠していたマリーは雪崩の犠牲になってしまいます。

 80年の生涯なので2時間弱で描くにはダイジェストに成らざるを得ない部分があります。ただ、原作は160ページしかなく、それほど端折っているわけではないのかもしれません。
IMDb7.0(アメリカでは映画祭での上映のみ)
▼観客7人(公開13日目の午前)1時間55分。