「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」は大ヒットしている上にメディアと観客からの絶賛評も獲得しています。IMDb8.8、ロッテントマト94%。ただ、メタスコアは高くはなく71点。僕もこの評価に近いです。
話は前作「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」(2019年)のラストから始まります。すなわち、スパイダーマンから倒されたミステリオ(ジェイク・ギレンホール)がスパイダーマンの正体をピーター・パーカー(トム・ホランド)であると暴露してしまった場面。このためピーターの周囲はガールフレンドのMJ(ゼンデイヤ)、親友のネッド(ジェイコブ・バタロン)、叔母さんのメイ(マリサ・トメイ)まで騒動に巻き込まれる。おまけに入学を目指していたMITからはMJ、ネッドともども騒動を理由に入学を断られてしまう。困ったピーターはドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)を訪ね、自分がスパイダーマンと知られていない世界に戻して欲しいと頼む。ストレンジの呪文の途中で何度もピーターが要望を変えたため、マルチバース(多元宇宙)の時空の扉が開かれ、別のスパイダーマン世界のヴィランたちが出現する。
出てくるのはトビー・マグワイアとアンドリュー・ガーフィールドがスパイダーマンを演じた計5本の映画のヴィランたちで、ドクター・オクトパス(アルフレッド・モリーナ)、グリーン・ゴブリン(ウィレム・デフォー)、エレクトロ(ジェイミー・フォックス)、サンドマン(トーマス・ヘイデン・チャーチ)、リザード(リス・エバンス)。
冒頭、スパイダーマンとMJがマスコミと民衆から逃れてニューヨークのビル街をスイングするシーンは快調ですが、多元宇宙の話はアニメの傑作「スパイダーマン:スパイダーバース」(2018年)で既に描いていますし、新しいアイデアも目新しさも新たな敵も出てこないのが個人的には少し残念。マルチバースのヴィランを元の世界に戻すためにピーターが下す決断は自己犠牲を伴うもので、ラストのピーターとMJ、ネッドの関係は切なさと希望が混じった複雑な感情を引き起こすものになっていますが、これも「天国から来たチャンピオン」や大林宣彦版「時をかける少女」と同じ味わいのものでした。
3作連続登板のジョン・ワッツ監督の演出は決して手際が良いものではなく、2時間29分の内容には間延びしたと思える部分もあります。しかし、「スパイダー“ボーイ”がスパイダー“マン”になる話だ」というワッツの言葉は明快かつ端的にこの映画を表していて、だからこそ、ほろ苦いラストになるのでしょう。
ともに25歳のトム・ホランド、ゼンデイヤ、ジェイコブ・バタロンは若くて思慮が足りないところもあるけれど、明るくてひたすら善良というキャラを確立し、映画の好感度を高めています。観客の評価が高いのはこの3人の青春映画としての側面の好ましさも影響していると思います。
ちなみにスパイダーマンは2002年のトビー・マグワイア版からソニーが映画化権を持っていて、2008年にマーベルが「アイアンマン」でMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)をスタートさせた後も、MCUの映画にスパイダーマンが出るのは難しい情勢でした。その後、ソニーとマーベルの間で話がまとまり、2016年の「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」で初めてスパイダーマンはMCU映画に登場しました。ですから今回の映画ではトビー・マグワイア版スパイダーマンの登場人物のひとりが「アベンジャーズってなんだ?」と聞く場面があります。
エンドクレジットの後にあるドクター・ストレンジのシーンは「ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス」(5月4日公開)の予告編のような作りでした。というか、そのまま予告編ですね。この中でスカーレット・ウィッチことワンダ・マキシモフ(エリザベス・オルセン)が「私が間違っていた。大勢を傷つけた」と話すのはディズニープラスの傑作ドラマ「ワンダヴィジョン」での出来事を指しています。
トム・ホランド版「スパイダーマン」はMCUに含まれていても、マーベル製作ではないので、ディズニープラスでは配信されません。配信だけでMCU作品をすべて見るにはディズニープラスとNetflixなど他の配信メディアの複数契約が必要になりますね。
宮崎キネマ館での公開は東京のシアター・イメージフォーラム、千葉県のキネマ旬報シアターに次いで全国3番目。こんなに公開館数が少ないなら、東京での公開から1カ月半たってもYahoo!映画の評価がたったの8件なのも納得ではありますね。僕が見た時は観客5人でした。
昨年公開の「MINAMATA ミナマタ」のラストで「水俣病はまだ終わっていない」という字幕が出ましたが、原一男監督は撮影15年、編集5年を費やして「水俣病がどう終わっていないか」を徹底的に描いています。第1部「病像論を糾す」で末梢神経の麻痺と思われてきた水俣病が脳の損傷であることを詳細に描き、第2部「時の堆積」で患者の過去と現在を描き、第3部「悶え神」で和解する原告が多い中、裁判を継続している人たちを描いていきます。
この第3部が圧倒的で、勝訴後の熊本県への申し入れの場面は「ゆきゆきて、神軍」を思わせる怒号と熱気が漂い、一触即発のピリピリした緊張感。裁判で勝っても行政の判断は何も変わらない現実が多くの患者を和解へと向かわせた要因でもあるでしょう。
6時間12分を見る価値は大いにありますが、観客のことを考えれば、1部から3部まで上映を別々にしてもらった方が見やすくはなると思いました。
パンフレットの発売はないようですが、製作ノートは販売していて、これはamazonなどでも購入できます。内容のほとんどはシナリオ採録で、監督インタビューと佐藤忠男さんの評論も収録されています。
Netflixオリジナル映画で原題は「The Unforgivable」。警官殺しで20年間服役して出所しても世間の仕打ちは冷たい、という内容。西川美和監督「すばらしき世界」のような作品かと思ったら、エンタメ方向に振っていて終盤に意外な事実が判明します。
そこまでの主人公の行動に理解しがたいものもあるんですが、こういうことなら仕方がないかと思ったり。ただ、警官殺しと分かった途端に職場の同僚から暴力振るわれるとか、納得しがたい場面もあります。
何よりサンドラ・ブロック(実年齢57歳)演じる主人公の妹が25歳というのはあんまりで、これは元になった2009年のテレビミニシリーズ「The Unforgiven」(全3回)の設定をそのまま使ったためと思いますが、娘に変更した方がリアリティーはあったでしょう。
IMDb7.2、メタスコア41点、ロッテントマト37%(ユーザーは76%)。
上映時間4時間32分。フレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー映画。
地方自治は「民主主義の学校」と言われますが、それを詳細に記録したこの映画は「民主主義の教科書」と言えるでしょう。僕は序盤が(昼食直後ということもあって)眠かったです。観客は3人でそのうちの1人は前半の途中で退出し、帰ってきませんでした。
ボストンは移民が48パーセントを占めるそうで、人種的に多様性のある都市のためさまざまな問題を抱えています。市長のマーティン・ウォルシュ自身、アイルランド移民の2世で民主党。「私たちの仕事は市民を守ることだ」という姿勢が明確で、白人至上主義のトランプとは対極にあります(撮影はトランプが大統領だった2019年)。
映画は市長の主義・主張を所々に織り込みながら、ボストン市役所の会議や会合、イベント、市の仕事までさまざまな断面を見せていきます。そうした諸々を見た後に、アメリカ国歌を歌う警官2人と市長の感動的な演説を聴くと、4時間半の長さは必要だったと思えました。もっとも市長の演説はここだけ切り取っても感動的ではあります。
ナレーションなし、説明なしということもあって途中で退屈な場面があったのも事実です。
フレデリック・ワイズマン監督の過去の映画はブルーレイでも配信でも見られますので、この映画もそうなるでしょうが、自宅で4時間半はちょっときついので、時間があるなら劇場で見た方が良いと思います。
ジェーン・カンピオン監督の「パワー・オブ・ザ・ドッグ」はヴェネツィア映画祭で銀獅子賞を受賞しました。主演はベネディクト・カンバーバッチ。11月19日に一部劇場で公開され、今月1日からNetflixが配信しています。
1920年代のモンタナ州を舞台にした重厚な人間ドラマで、集中して見た方が良いことと、雄大な風景がたびたび挿入されるので映画館で見たい作品です。この風景、アメリカではなく、撮影はニュージーランドで行われたとのこと。
原作はトーマス・サヴェージ(1915~2003年)の同名小説。1967年に出版され、西部小説の名作との評価が定まっているそうです(邦訳は今年)。amazonに「『エデンの東』や『ブロークバック・マウンテン』を彷彿とさせる豊かで挑戦的な心理劇」とのガーディアン紙の書評が引用されていますが、カウボーイ兄弟の話であり、兄がどうやらゲイらしいことから僕もこの2作を思い浮かべながら映画を見てました。というか、この書評、いったいいつ書かれたんでしょう? 後出しの「ブロークバック…」の方がこの原作に影響されているんじゃないですかね。
メタスコア88点、ロッテントマト95%と批評家は絶賛で、ゴールデン・グローブ賞ではドラマ部門作品賞、監督賞、主演男優賞(カンバーバッチ)、助演女優賞(キルステン・ダンスト)など7部門の候補になり、作品賞、監督賞、助演男優賞(コディ・スミット=マクフィー)の3部門で受賞しました。
ただ、終盤の展開に驚きはあるものの、序中盤が地味なためか、Netflix視聴が大半と思われる一般観客の評価はIMDb7.0、ロッテントマト61%と高くはありません。
タイトルは「わたしの魂をつるぎから、わたしのいのちを犬の力から救い出してください」という旧約聖書の詩編の一編に由来するそうです。原作のエピグラフにこの言葉が書かれていますが、映画の中でも登場人物の1人がこれを参照する場面がありました。
「ラストナイト・イン・ソーホー」のトーマシン・マッケンジーがちょい役で出てきます。
原作は本編の連載が始まる前のパイロット版的な話なので原作読んでいなくてもテレビアニメを見ていなくても支障はありません。1巻だけで完結しているので細部を膨らませる余地があり、映画化するにはちょうど良い長さと言えるでしょう。
幼い頃に結婚を約束するも事故死した祈本里香の呪霊に取り憑かれている乙骨憂太。里香は特級過呪怨霊で強大な力を持つため、特級呪詛師・夏油傑がその力を手に入れようと、東京と京都で大量の呪いを放つ百鬼夜行を強行。五条悟ら東京都立呪術高等専門学校の面々がそれに対抗するという物語です。
制作のMAPPAのアニメ技術は水準が高く、クライマックスの戦闘シーンなど原作より拡大増強していますが、できればドラマの方も強化した方が良かったでしょう。
乙骨憂太の声を演じているのは緒方恵美なので「死んじゃダメだ、死んじゃダメだ」というセリフは碇シンジの「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」を想起させました(^^ゞ
興収100億円突破は確実という大ヒットスタートのようですが、作品の力としては「鬼滅の刃 無限列車編」のようにあらゆる世代にアピールする社会現象的な広がりまでは期待できないと思えました。
3つの話のうち、第1話「魔法(よりもっと不確か)」が特に面白かったです。タクシーの中での玄理の語りがいきなりエロいです。古川琴音との会話で、「あ、これはもしかして」と思ったら、予想通りの展開になりましたが、そこから先がまた面白かった。第2話「扉は開いたままで」がさらにエロくて、主婦で大学生役・森郁月が良かったです。
気になったのはセリフの棒読みで、特に2話と3話「もう一度」で棒読みが目立ちました。濱口竜介監督は撮影前に徹底的に本読みをさせて、この段階では感情を込めない棒読みをさせるそうです。本番では感情を入れた演技になるはずが、ちっともそうなっていないですね。それでも2話は朗読場面が長いので棒読みは内容に合っているとも言えます。棒読みによって話の面白さのみが前面に出ることになり、それは観客側も小説を読んでいる感覚に近いかなと思いました。
この脚本、3話とも場面転換が少ないですから、舞台でも十分に通用するでしょう。
ベルリン映画祭銀熊賞のほか、IMDb7.6、メタスコア87点、ロッテントマト98%と海外でも高評価ですが、海外では恐らくセリフが棒読みであることは分かりにくいんじゃないでしょうか。
ちなみに英語タイトルは「Wheel of Fortune and Fantasy」(運命の輪と空想)となってます。
2年前にNHKで放送した「腐女子、うっかりゲイに告る。」(金子大地、藤野涼子主演)と同じ原作。BL好きの女子高生・三浦紗枝(山田杏奈)が書店でBL本を買っているところをクラスメートの安藤純(神尾楓珠)に見られ、いつしか恋愛感情を持つようになります。純はゲイの恋人がいながら、ゲイであることを母親にもクラスメートにも隠していますが、ふとしたことで学校中に知られてしまう、という展開。
浅原ナオトの原作タイトル「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」が、やがて「彼女が好きなものは僕であってホモではない」に変わっていくわけですが、これが普通の恋愛映画のように成就してしまってはゲイであることが否定されてしまう。それではどうするか、という難しい着地を映画はちゃんと成功させています。
主演の2人をはじめ、純のいつも明るい親友役・前田旺志郎やクラスメートの三浦りょう太ら脇を固める俳優たちも良く、ゲイをテーマにした作品であること以上に青春映画として大変好感の持てる作品になっています。
山田杏奈はこれで今年5本目の映画出演。そのうち3本は主役級、1本は準主役級という活躍ぶりで、特に「ひらいて」とこの映画で個人的には今年の新人賞の筆頭候補です。子役出身なので既に10年のキャリアがあるんですけどね。
自閉症の50歳の息子・忠さん(塚地武雅)と母親(加賀まりこ)の物語。上映時間77分の短い作品で、隣に引っ越してきた家族と良好な関係に至るものの、地域の人々の偏見は残されたままで、根本的な問題は何も解決しません。
そういう食い足りない部分はありますが、僕が見た劇場では年配の女性を中心に観客が多かったです。興行収入のベストテンに入るようなヒットではないのでしょうが、年配客の支持を集める内容なのだろうと思いました。
監督の和島香太郎は1983年生まれ。公式サイトによると、自閉症の一人暮らしの男性のドキュメンタリーに関わった経験があり、近隣住民とのトラブルなどドキュメンタリーでは撮影できないことをフィクションで描くために映画を撮ったのだそうです。
18年ぶりの第4作となった「マトリックス レザレクションズ」は残念ながら、よくある“作らなくても良かった続編”になっています。第3作「レボリューションズ」で死んだネオ(キアヌ・リーブス)とトリニティー(キャリー=アン・モス)を復活させてまで作る必要があったとは思えませんでした。
出来は全然ダメかというと、そんなことはなく、退屈なところも面白いところもあります。映画史に残る大傑作だった1作目と比較するから悪いのであって、普通のSF映画と思えば、そんなに腹は立たないです。
残念なのは第1作にあった目を見張るようなスタイリッシュなアクションや映像が今回もないこと。2作目にも3作目にもこうしたひたすらカッコイイ映像はなかったんですが、ああいう映像の復活を期待するのはやはり無理なのでしょう。キアヌ・リーブスとキャリー=アン・モスが18年の年齢を重ねているのも映像的にはマイナスで、若くて美しかった2人がいたからこそ第1作は成立していた部分もあったのだなあと思わざるを得ません。
監督のラナ・ウォシャウスキーは第4作を作った理由について、両親が相次いで亡くなったことを挙げ、「ある夜、目が覚めて、ひとつの物語を思いつきました。それが、ネオとトリニティーが生き返る物語だった。人生で最も大切なふたりを失ったとき、自分の脳が、同じく人生で最も大切なふたりを蘇らせたんです」と語っています。
パンフレットに「『ゲット・アウト』、『アス』のプロデューサーが新たな衝撃を呼び起こすパラドックス・スリラー」とあります。予告編がネタバレしているという指摘がありますが、ネタバレではないにせよ、語りの順番を入れ替えているので見ない方が良いでしょう。
というか、何も知らないで見た方が良い映画で、その意味でM・ナイト・シャマランの映画を思わせます。内容的にもシャマランの某作品の作りを参考にしていると思えました。
タイトルは「戦前」を表すラテン語で、アメリカ史の文脈では「南北戦争前」を意味するそうです。
アメリカではIMDb5.7、メタスコア43点、ロッテントマト30%とさっぱり評価がありません。
サンダンス映画祭など世界の映画祭で多数受賞しているコロンビア映画。南米の高地で8人の少年少女が訓練をしている場面で映画は始まり、徐々に状況が分かってきます。
彼らはゲリラ組織のメンバーで、MONOS(猿の複数形)のコードネームで呼ばれ、人質の女性博士の世話を任されていましたが、敵の攻撃を受け、ジャングルへと場所を移すことになります。そして、ふとしたことで仲間割れが始まる、というストーリー。
監督のアレハンドロ・ランデスは「蠅の王」(ウィリアム・ゴールディング)と「地獄の黙示録」の元になった「闇の奥」(ジョゼフ・コンラッド)の影響を明言していて、確かにそんな感じの映画になっています。意味不明の序盤の方が面白く、話が分かってしまうと、魅力を減じてしまうのが難ですね。
白色テロ時代の1960年代の台湾の高校を舞台にしたダーク・ミステリーで、金馬奨12部門にノミネートされ、最優秀新人監督賞、最優秀脚色賞、最優秀視覚効果賞を含む5部門を受賞したそうです。夜の学校で魔物に追いかけられるホラー描写などがあるからダーク・ミステリーなんでしょうが、こうしたホラー要素、まったく余計にしか感じませんでした。
元がゲームなので仕方ないのかもしれませんが、当局から政治的弾圧を受ける教師と生徒たちの描写に絞った方が良かったでしょう。幽霊や化け物よりも白色テロの方がよほど怖いです。
「返校」は「学期が始まる直前に一度学校に帰る日」という意味とのこと。サブタイトルを付けた日本の担当者は語彙不足としか思えず、センスも皆無ですね。
「ラストナイト・イン・ソーホー」は予告編では内容がよく伝わってきませんでした。パンフレットには「鬼才エドガー・ライトが贈るタイムリープ・サイコ・ホラー」とあります。これが正しいかというと疑問で、遠くはないけど当たってもいないというレベル。エドガー・ライト監督は「(主人公の)エロイーズは精神的な繋がりなどを通して、他の人の記憶を夢の中で再現しているに過ぎない」と語っているのでもちろんタイムリープではありません。
エロイーズ(トーマシン・マッケンジー)は霊的なものを見る能力がある。この力は母親から受け継いだもので母はこれを苦にして自殺し、祖母に育てられた。60年代の音楽とファッションが好きなエロイーズはファッションデザイナーを目指してロンドンのカレッジに進学。寮に入るが、コーンウォールの田舎育ちをバカにするルームメイトになじめず、下宿先を探して一人暮らしをする。その下宿の大家ミズ・コリンズ(ダイアナ・リグ)は午後8時以降に男を部屋に入れることを厳しく禁じる。
その夜、エロイーズは夢の中で「007 サンダーボール作戦」(1965年公開)の大きな看板がある歓楽街に迷い込む。ナイトクラブの「カフェ・ド・パリ」で歌手を夢見るサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)を目にしたエロイーズは同じような境遇のサンディと自分を重ねるようになる。何度もサンディを夢の中で見るうちにファッションも影響されていく。しかし、ある夜、サンディが殺される場面を見てしまう。
ミステリーとホラーを組み合わせたような内容で、ミステリーの側面から言えば禁じ手を使ってます。エロイーズの見る夢と霊能力で見たものが混ざっていて、その中には事実ではないことが含まれているからです。映画はエロイーズの視点で構成されていますから、故意に嘘をついているわけではないものの、エロイーズは「信頼のおけない語り手」に近い存在ということになります。
エロイーズは自分が見たものを事実だとして警察に相談しますが、半世紀近く前に起きたことを霊能力で見たと言っても警察が動かないのは当然でしょう。
手作りの地味なファッションで登場したトーマシン・マッケンジーは髪をブロンドに染めた場面から一気に華やかな美女に変貌します。「クイーンズ・ギャンビット」(Netflix)でブレイクしたアニャ・テイラー=ジョイは魅力を十分に引き出されているとは言えないのが残念。監督の好みはマッケンジーの方なんでしょう。
IMDbによると、「サンダーボール作戦」の公開は日本が一番早くて1965年12月11日。次がイタリアで12月15日。本国イギリスはロンドンでのプレミア公開が12月29日、一般公開が12月30日でした。007シリーズは日本で大ヒットしていましたから(「007は二度死ぬ」で日本を舞台にしたのはそのため)、早い公開になったのでしょう。「ゴジラVSコング」や「ウエスト・サイド・ストーリー」の公開が大幅に遅れる今とは大違いですね。
IMDb7.2、メタスコア65点、ロッテントマト75%。
コラン・ニエルの原作(「動物だけが知っている」=未訳)を「マンク 破戒僧」などのドミニク・モル監督が映画化したミステリー。KINENOTEから引用すると、「吹雪の夜、フランスの人里離れた村で一人の女性が殺された。この事件を軸に5つの物語が展開、5人の男女が思いもかけない形で繋がっていく」というストーリー。
小さな範囲の事件かと思ったら、地理的には大きな広がりが出てきますが、すべて分かってしまうと、人間関係の狭いところで起きた事件だな、という印象になってしまいます。あまりに話のつじつまが合いすぎて「大がかりなつじつま合わせ、ご苦労さんでした」と皮肉を言いたくなるほど。
出演者の中では、殺害された女の娘のような年齢でありながら深く愛してしまう若い女を演じたナディア・テレスキウィッツが強い印象を残します。2019年東京国際映画祭で最優秀女優賞を受賞したそうで、これは納得です。
IMDb7.0、メタスコア69点、ロッテントマト92%とそこそこの点数になってます。
「痛くない死に方」(高橋伴明監督)の原作者・長尾和宏医師を描いたドキュメンタリーで、他地区では「痛くない死に方」と同時期に公開されましたが、宮崎では大幅に遅れての公開。
映画の作りとしては「痛くない死に方」の方がよくまとまっていて主張も明確ですが、あの映画のモデルになった医師の実際の活動を見たい人には有用でしょう。
酸素吸入や点滴を行わない在宅医療がどういうものかがはっきり分かる映画になっています。在宅死の瞬間を撮影した映像もあり、呼吸が止まった後、長く心臓が動き、ようやく死に至る珍しい例が紹介されています。呼吸が止まったら苦しいんじゃないかと思えますが、患者はまったく動きません。痛くも苦しくもないから動かないのか、もはや動く力が残っていないのかは分かりませんが、見た目には穏やかな死に方のようでした。
長尾医師の言うように、回復する見込みのない患者をチューブだらけにして苦しみを長引かせるだけの治療なら、しない方が良いと思います。監督は「痛くない死に方」の助監督を務めた毛利安孝。
「アジア映画祭2021 in 宮崎」上映作品。Netflixでは「生きのびるために」のタイトルで配信しているアニメーションで、タリバンが支配するアフガニスタンの物語。製作は「ウルフウォーカー」など評価の高い作品を作り続けているアイルランドのアニメーションスタジオ、カートゥーンサルーン。
少女パヴァーナの父親が娘に本を読ませた罪で投獄される。パヴァーナの一家は母親と姉、幼い弟で、父親を失った一家は途端に困窮する。アフガンでは女性だけでは外出することさえできないのだ。それを破った母親はタリバンの男に殴打され、ひどいけがをしてしまう。パヴァーナは少年の格好をして働き、大黒柱(ブレッドウィナー)として一家を支えることになる。
理不尽な状況にある社会の話として普遍性があります。根本的な問題は解決しないものの、映画は小さなハッピーエンドを用意して終わります。焦点深度の深い傑作と言えるでしょう。原作はカナダの児童文学作家デボラ・エリス。「生きのびるために」は難民キャンプの少女たちへの取材を基にして書かれた作品で3部作になっているそうです。
ビートたけしの原作を劇団ひとりが脚本・監督したNetflixオリジナル映画。今週見た作品の中ではこれがベストでした。
たけし役を柳楽優弥、きよし役はナイツの土屋伸之、師匠の深見千三郎を大泉洋、その妻を鈴木保奈美、浅草フランス座の踊り子役に門脇麦といったキャスティング。
深見とたけしの師弟関係を描いていますが、テレビに背を向け、浅草で静かに退場していく深見の悲哀が胸を打ち、実質的な主人公は大泉洋と言って良いと思います。
劇団ひとりは7年前にも大泉洋主演で浅草の芸人を描いた「青天の霹靂」を撮っています。今回はそれを大幅に上回る充実した出来と言えます。
小鳥のさえずりから過去へジャンプするラストシークエンスの長いワンカット(のように見える)撮影は極めて映画的で楽しく、微笑ましかったです。劇団ひとり、映画が好きなんですね。
劇場公開すれば、日本アカデミー賞など各映画賞の候補に挙がるのは間違いないと思いますが、公開予定はないんでしょうか。
「パーフェクト・ケア」は全国的な劇場公開と同時に有料配信が始まりました(九州での劇場公開は熊本ピカデリーだけのようです)。配信はamazonプライムビデオ、U-NEXT、TSUTAYA TVなど12のプラットフォームで劇場と同額の1900円。ムビチケが使えるサイトもあります。
ロザムンド・パイクはこの作品でゴールデングローブ賞ミュージカル・コメディ部門の主演女優賞を受賞しましたが、アメリカでの評価はIMDb6.3、メタスコア66点、ロッテントマト78%(ユーザーは33%)と芳しくありません。
というわけで、U-NEXTで見ました。ここは40%ポイント還元があるので実質1140円。これなら、つまらなくても我慢できるレベルです。
しかし、そんな心配は不要なほど十分に面白いです。誰もが指摘するようにラストの処理が今一つではありますが、ロザムンド・パイクの頼もしくて賢くて決して諦めない女の演技は見る価値がありますし、相棒で同性の恋人役エイザ・ゴンザレス(「ゴジラVSコング」「ワイルド・スピード スーパーコンボ」)も初めて名前と顔が一致するほど魅力的でした。
パイクが演じるのは裁判所からの信頼が厚い法定後見人のマーラ。その正体は合法的に高齢者の資産を搾り取る悪徳後見人で、次の獲物に定めたのは身寄りのない資産家の老女ジェニファー(ダイアン・ウィースト)でした。格好の餌食となるはずが、なぜか彼女の背後からロシアン・マフィアが現れる、というストーリー。
マフィアのボスに扮するのは「スリー・ビルボード」「ゲーム・オブ・スローンズ」のピーター・ディンクレイジ。シラノ・ド・ベルジュラックを演じる「シラノ」の公開も控えており、アメリカでの役者としてのランクの高さをうかがわせます。
監督は「アリス・クリードの失踪」「フィフス・ウェイブ」のJ・ブレイクソン。
アレクサンダー・ロックウェル監督作品で、日本公開は「フォー・ルームス」(1995年、4人の監督のオムニバス)以来とのこと。15歳の少女ビリーと11歳の弟ニコはアルコール依存症の父アダムと暮らしている。ある日、父が強制的な入院措置となり、二人は家を出た母イヴのもとへ行くが……。
ビリーとニコを演じるのは監督の実子のラナ・ロックウェルとニコ・ロックウェル。母親役は奥さんのカリン・パーソンズ。インディーズ作品なので予算を抑えるためではないかと思ってしまいますが、2013年の「Little Feet」(日本未公開)でも2人の子供を撮っており、大人の入口にさしかかった2人をまた撮りたかったとのこと。
ネグレクトや虐待など厳しい描写もありますが、基本的には心優しいタッチの映画で、16ミリ撮影の白黒、パートカラーの画面も悪くありません。
2020年ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門最優秀作品賞受賞。
トニー賞6部門を受賞したブロードウェイ・ミュージカルの映画化。
主演は舞台でも主役を演じたベン・プラット。
アメリカで評価が低い(IMDb6.1、メタスコア39点、ロッテントマト30%)のはプラットが映画では高校生には見えないことも影響しているのでしょう(撮影時27歳だそうですが、30代半ばかと思いました)。
自殺とSNSの功罪、嘘をつかざるを得なくなる状況まで映画はかなり深刻な題材を扱っています。それをミュージカルにするというのは舞台なら成功したのでしょうが、映画には少し違和感が残りました。
マーベルのダークヒーローを主人公にした2018年の映画の第2弾。地球外生命体シンビオートのヴェノムと体を共有するジャーナリストのエディ(トム・ハーディ)に死刑囚クレタス(ウディ・ハレルソン)が噛みつき、エディの血を体内に取り込んだことから狂暴なカーネイジが生まれてしまう、という話。
第1作はまあまあな出来でしたが、今回はそれより少し劣る出来に終わっています。
明らかにアンディ・サーキス(「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズなどのモーションアクターとして有名)の演出にキレがないことが原因で、話として悪くないのに盛り上がっていきません。
ヴェノムは元々、スパイダーマンシリーズの悪役(サム・ライミ監督の「スパイダーマン3」に登場しました)なので、今後の作品でスパイダーマンとの共演がありそうなエピローグになってます。
「アジア映画祭2021 in 宮崎」で上映中の作品。ベネチア国際映画祭金獅子賞、2017年キネ旬ベストテン5位のフィリピン映画です。トルストイの短編から着想を得た人間ドラマで、殺人の冤罪で30年間も投獄された主人公ホラシア(チャロ・サントス・コンシオ)が彼女を陥れた昔の恋人ロドリゴに復讐するため、周囲の助力を得ながら彼を追っていく、というストーリー。
鮮明な白黒画面が美しい映画ですが、3時間48分の長尺。こんなに長くなったのはワンシーンワンカットの手法を取っているためもあるでしょう。普通に撮れば、2時間以内に収まりそうな内容でした。
ラヴ・ディアス監督作品の中で特に優れた作品というわけでもないようで、IMDbのレーティング順に並べると、全67本の長編監督作品中14番目の点数(7.2)になってます。
主演のコンシオは普通のおばさん(1955年生まれ)のように見えますが、女優として50本の映画に出ています。それよりも驚くのは344本の映画をプロデュースしていること。本業はこっちなんじゃないでしょうか。
amazonプライムビデオの見放題作品に入ってます。
材料はそろってますし、VFXも頑張ってるんですけど、料理の仕方がうまくないので薄味の出来に留まってます。話がテキパキテキパキ進みすぎるきらいがありますね。トラック2台が横転するだけでも大変な事態ですが、簡単に復旧するし、次々に困難が襲いかかるんですけど、あまりにも簡単に克服していくのでドラマが盛り上がらないです。リーアム・ニーソンの弟を死なせることもなかったんじゃないでしょうかね。
ローレンス・フィッシュバーンが序盤で死ぬシーンは意外性を狙ったんでしょうけど、あの場面、足首を鉄のロープに挟まれて数十トンのトラックで引っぱられたら、足が切断されるでしょう。足はなくしたけれど、命はなくさなかった、ということになるんじゃないでしょうかね。